友人たちと、鶴岡八幡宮に、初詣へ。新年を祝うためにそこを訪れる人がたくさんいて、みんな元気でよろしい、とまるでやる気のない校長先生の挨拶みたいに呑気に思った。おみくじは中吉。かえるのお守りが付いてきて、欲しかったものだからうれしかった。とはいえ年始に引いた吉のおみくじが気に入っている。そういえば、さっきインスタグラムを眺めていたら、ずっと好きなモデルさんが引いたというおみくじの内容がわたしのものと全く同じだった。全く同じおみくじを引くのって、けっこう稀なんじゃないでしょうか。数学は苦手なのでどんな確率なのかは、皆目見当がつかないけれど。
鎌倉駅近くのトルコ料理屋さんで美味しいビールとバクラヴァという料理をはじめて食べた。パイ(フィロというらしい)生地の中にピスタチオやナッツが織り交ぜられていて、甘くて美味しい。おせちに入っている黄色と茶色の層になった食べ物になんとなく似ているなと思ったのだけど、どうにも名前がわからない。「おせち 層になってるもの」と検索してみても、なかなか出てこない。おせちの中身として、あまりメジャーな料理ではないみたい。ビールは鳥取の、HAZY IPAを頼んだのだけど、爽やかで軽くて、海を見ながらいつまでも飲めちゃうような味だった。
そのあと横浜で、モントリオールから来た友だちに会った。一ヶ月の有休を取って日本と中国に滞在していたらしいけど、もうすぐカナダに帰るというので慌てて会いに行った。驚くことに彼は恋人と一緒にいて、聞くともう付き合って5年目になるというのだから、わたしはほんとうに知らないことが多いなあと、もはや落ち込むこともなくしみじみ思う。周りのひとの交友関係や恋人の話についてけっこう知らないことが多い。自分のことをあまり話さないから、そりゃ相手のことを知る機会を逃しているのだよと言われたらまあそうなのかもしれないけれど、それでも自分は周りの大切なひとたちのことを何も知らなさすぎて、大切だと思っているのはわたしだけなんじゃないか、一方通行の切ない片想いだとすこし落ち込んだときもあった。自分の知らないところでみんな人生を進めているのだという、あたりまえのことを受け入れたのは、実はつい最近のことなのだ。けれど、一時期はあんなにたくさん一緒にいたのに、わたしの存在がなくても、彼の存在がなくても、お互いの人生が難なく進んでいくというのは、なんとも寂しい気持ちがする。会わなくても、知らなくても、どこかではつながっているのだと思っている。