3.11

conomi
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月曜から夜更かしって、実はそんなに夜更かしじゃないので、番組が終わったあとにすこし寂しくなる。

2011年の今日のことは、絵に描いたように思い出せる。10年以上も前になると他のことは全然覚えていないのに、あの日のあの時間以降の記憶だけは、ものすごく鮮明に覚えている。電車が来る直前、目の前に建つビルが大きく横に揺れ始め、それから駅のホームで10時間以上ひとり立っていたこと。隣にいたおばちゃんが飴をくれたこと。生理が始まったばかりですこし焦りながら、トイレの長蛇の列に並んだこと。校則で寄り道は禁止なので内心どきどきしながら、売店でワッフルをひとつ買ったこと。父親がメールにラスカルの動く絵文字をつけるので、「充電を消耗するから絵文字はやめて」と短い文章を送り、バッテリーを長持ちさせるために一旦スマホの電源を切ったこと。夜遅くに友達のお母さんが迎えに来てくれて、「このみちゃん?」と声をかけられたこと。家にお邪魔して、何が食べたい?と聞かれ、でも特にオプションはなくサブウェイのサンドウィッチを買ってきてもらったこと。一番にお風呂に入らせてもらったこと。翌日何時頃、どうやって家に帰ったのかは覚えていない。

しばらく学校に行かなくてよいのは嬉しかったけれど、いつまた大きな揺れがくるかわからない不安の中で、静かに過ごしていた。停電の日には、母と一緒にキャンドルをたくさん灯した。夕方の薄暗い部屋で、母といぬと布団に潜って眠った。いま思えば、母親はいつも家の中を明るくしようとしてくれていたように思う。

今でも2万人以上の避難者がいる。2000人以上の行方不明者がいる。そしてそれを経て、たくさんのものを失って、取り戻して、生きているひとたちがいる。日々の生活のなかで、たとえば食器を洗うことや、洗濯物を干すこと、そういう一つひとつが「祈り」なのだと、福島で生きるひとたちの研究をする先輩が言っていた。生活のなかで、生活することで、祈ること。

あらためて自分の研究には意義があるのだと、沸々と思えた日だった。それを言葉にするのはまだうまくできないけれど。この不条理な世界に生きて、政治的な利害にもとづいて加害が黙認されるのを見過ごすわけにはいかないという、そんなにも当然のことを繰り返し自分に言い聞かせる必要がある。たとえ権力に認められず、もがき苦しむことになろうとも、批判のまなざしを持ち続けながら、資本の論理を問い続けながら、自分の信じる価値を叫ぶ無知でありたいのだ。まだわたしはそれを、少しばかりもできていない。現在性への批判的なまなざしと、生活者の祈り。