高校生の頃からの友人と、中目黒へ出かけた。中目黒というよりも、このあたりは渋谷とか恵比寿とか代官山じゃない?と思ったのだけど、彼女は中目黒と言うから、中目黒なのだろう。目黒川沿いのとっても雰囲気のよいカフェで遅めのランチをして、蔦屋書店に寄ったあと、友人おすすめのバーへ。Angel's Envyというバーボンと、セイロンティーのリキュールと、ジンジャーエールで作ってもらったカクテルは、飲みやすくておしゃれな味だった。どこを歩いてもどこに入ってもちょうどおしゃれでちょうど美味しくて、街は閑静で気品が漂い、店員さんは口数少なくスマートで優しく、一言でいうと東京!って感じだった。大阪はもっと雑多だし、京都は少しずれている。なんていうか、東京はなんでもちょうどよくて、ど真ん中で、ずれてる感じが全くない。あと、東京の静けさは品が良いのに、地元の静けさは不気味で落ち着きがない。それでも、暗く静かな地元の駅に響き渡る『おさるのかごや』の能天気な発車メロディにはほっとする。
友人はわたしにとってとても大事なひとで、会った日の帰り道には頭の中が、もっと考えたいこと、知りたいこと、学びたいことでいっぱいになり、世界の見え方や色づき方がすこし変わる。ともに時間を過ごすだけでこの世界がすこしだけ色づいて見えるというのだから、ほんとうにかけがえのない存在なのだと思う。彼女がすこしでも生きやすい社会に、安心できる場所に、どうにか1ミリメートルずつでも動かしていけたなら。文学や芸術がその支えにすこしでもなっているのなら、それはただひたすらに守っていかねばならないと思う。彼女の話し口は常に穏やかで、その声はまるで心地のよい鳥のさえずりみたいに余韻を残して消えていく。耳が心地よいとはこういうことかと思いながら、その口から言葉が紡がれる瞬間をじっと待つのが好きだ。けれど、わたしがどうにもうまくやれない、とある男性の話をしたときだけは、彼女はテーブルを見つめながら、わたしそういうひとを正直見下してる、うん、軽蔑してる。と何度も頷き、自分に言い聞かせるかのように低くはっきりした声を響かせた。彼女の愛する文学や美術の話についていけるように、わたしもまた一人の"ふつうのひと"として、自分の血や肉となるまでさまざまなものを噛んで味わい摂取する。そう決心するしかない。