あさの大学のエレベーターで、指導教授と一緒になった。ねむいね〜、ねむいですね〜と話しながら、わたしが3階のボタンを押すと、あれ、3階だっけ?と訊かれる。一瞬よくわからなくて思考が停止し、あ、わたし...と言いかけたところで、あ、違う授業だっけ?と言われる。先生の担当する授業は4階で、わたしが受ける授業は3階なのだ、と、ねむい頭でやっと思い、あはは、と笑ってうなずく。じゃあね〜と挨拶をされてエレベーターを降りながら、なんだかこのひとはほんとうに、いつでも誰とでもふつうだなあと、まっすぐに感心する。まるで一緒に授業を受けているかのような物言いだったから。あと、ほんとうにねむそうだったけど、きっと授業がはじまったとたんに誰もついていけない速さで脳をフル回転させ、ノンストップで喋りまくるのだ。終わったあとはきっと、のほほんとして、たのしかった〜と言い、学生と友だちのように喋り、タバコを吸うのだろう。先生はすごいひとです。
昨晩ベッドに入ったのがおそかったからか、今日はずっと眠い。やるべきことがいっぱいあるのだけど、やることに取りかかるまで、寝て、珈琲をのんで、寝て、パンをたべて、寝てしまっていた。気がついたら日が暮れている。これでは先生に近づくどころか、順調に遠ざかっている気がするよ。村田沙耶香は午前2時に起きて小説を書いているんだよ。おねがいだから自分にはもうすこし、がんばってほしい。
後輩の子が泊まりにきていて、毎日ねむい目をこすりながら、いろいろな話をしている。友だちを好きになったらどうする?という普遍的なテーマについてああだこうだと言っているだけで、とってもたのしい。そのあいだテレビは、障害者施設の入居者にたいする暴力、歌舞伎町にいる未成年のオーバードーズ、警察官のセクハラとパワハラ、タリウムによる女子大生の殺害事件などを、次々に映し出す。今もっとも平和な場面にいるわたしたちと、画面の向こうでふらふらと取材に応える少女の日常がつながっていることを、頭の片隅で捉え、彼女たちはいま寒くないかな、ともだちと恋バナをして笑ったりしているだろうか、などと断片的なことを想像する。コメンテーターの大学教授を横目で見ながら、今日終わらなかった、やらなきゃいけないことと、今朝の先生の「ねむいね〜」を思いだす。夜ごはんに食べたお寿司が、おなかの中でぐるぐるして、また眠気をさそう。睡魔とばかり闘っていないで、自分に抱えられるものの範囲を、すこしずつでも増やせたらいいのだけれど。