寄せ場や路上で上演をする『さすらい姉妹』の芝居を観に行った。反魂魔球。白虎隊、御岳山、日清戦争のラッパ手、ハンセン病、甲子園ファシズム、ムッソリーニ、馬琴の口述筆記をしていたお路、放射能、地震、そのすべてに通ずるモチーフとしての山、灰、火、、掴みきれないほど盛り沢山の内容で、上演後に監督の千葉さんと話をしている間に答え合わせや新しい発見がいくつもあった。流動する道徳観というものは2015年頃から長いあいだ彼のテーマとしてあり続けたそうだが、ハンセン病に関してはこの夏に資料館に足繁く通い、新しいテーマとして取り入れたという。たしかにハンセン病患者は独立して際立っていたし、舌読のシーンには鬼気迫るものがあった。隔離された患者たちが結成したさわらび団という劇団から借りた役名や、最後の歌に取り入れられた詩の中には、彼らが生活を記録しようとした試みが生きている。遠すぎる声を、わたしが書き留めることができるのでしょうか。お路の台詞が印象的だった。
あと、当て書きはほんとうに面白い。つまり役者との日常的なかかわりから、役者自身の個性や性格をつかみ、それを役にどんどん反映させて、「そのひとのために」書く脚本。たとえばさっきデモに行ってきたとか、古本が好きだとか、実は孤児であるとか、そういうことを脚本に取り入れる。役者は、役を演じているのか、役を剥いだ自分として喋っているのか、その境界を彷徨うことになる。
劇中ではジェノサイドや元日の地震にも触れられた。観客との距離は近く、役者がみかんやお菓子を配りにくる。上演後には観客を含めた全員で乾杯する。どこまでも生の劇。
言葉にしてくれるひとが必要なんです。その一言がとても響いた。動いているひと、外に出ているひとはたくさんいるから。それを見て、聴いて、言葉にするのがわたしの仕事でありたい。
新宿でケーキを買った。帰って食べるのがたのしみー。