11.23

conomi
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大学院では基本的に、みんな苗字にさん付けで呼び、敬語で話す。うちの大学特有なのか、ほかのところもそうなのかはわからないのだけど、その絶妙な距離感を、最近けっこう気に入りだしている。きっと年齢も学年もさまざまで、それは見た目からはわからないことがほとんどなので、全員均しくさん付けという文化が定着したのかも、と思う。でもたまに下の名前で呼んでもらえたりすると、内心いえーいとか思う。

木曜日の授業はいつもすこし緊張する。めずらしくちゃんと予習をしていくのだけど、ほかの学生は哲学研究のひとがほとんどで、知識の量も質もぜんぜん歯が立たない。とにかく知らない単語がおおすぎる。でもわたしがいることでなにか貢献できることがないかと探しながら、いちおう休まずに行っている。先週も、よくわからない部分を正直に話したら、ほかのみんながそれを引き継いでいろいろなことを言ってくれた。自分のノートには知らないことばと、文献リストが溜まっていく。

うー、なんだかうまくいかない、とバスの中で思う。理由はわかっている。とにかくやることが多いのだ。研究のことも、仕事のことも。そして、やり方がわかっていることならまだいいのだけど、今回に関しては、どれもはじめてのことでやり方があまりよくわからない。だからたぶん間違ってるだろうなと思いながら、ふだんの何倍も時間をかけて手探りでやってみて、わからないことを人に聞き、またやってみる、というのを繰り返す。さらに期限が迫っているから、あまり時間をかけてもいられない。こういうときは、落ち着ける場所にいって、ごはんを食べるといい。

日頃からお世話になっているカフェで、フィエスタというイベントがあった。世界各国の料理や、ピアノの音色や、駆け回るこどもたちや、蜜柑の木。人びとが出会い、ころころと音を立てて笑い、また離れていく。わたしも見慣れた顔をみつけては、声をかけ、おしゃべりをする。カナダから日本にやってきて、兵庫の大学で教鞭をとるジャネットが、わたしのことを、パートナーや、親友や、同僚に紹介してくれた。”She is my friend.” その出だしだけでうれしくて、話している彼女のことをじっと見てしまう。そのあとの自分にかんする説明も、やけに具体的で、うれしかった。彼女はいつも開かれていて、話し方には芯があって、あらゆることに深いまなざしを向ける。帰り道、御所沿いにあるいていると、わたあめを散りばめたような雲と、黄金色のイチョウと、水色からピンクに染まる空が、ほんとうにきれいで、きれいー。って声がでた。

夕方のゼミで、先輩が発表していた。いろいろなコメント(基本的に厳しい)が飛び交ったあと、先輩は、「ここまでつくった自分をいま褒めてるんです、私。」と言う。あまりに格好よくて、心のなかで拍手した。「楽しんで研究しましょー。だれに強制されているわけでもないので。」前に先輩からもらったメッセージを思い返す。ちょっとだけ、胸がきゅっとなる。うまくいかないことが多いけど、たのしんで研究しましょ。