死ねないことに気づいたら

cordx56
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公開:2026/6/12

こんにちは。

みなさんが「死ねないことに気づいた」のはいつ頃ですか。私は19くらいの頃だったと思います。それはきっと、何かへの諦めだったのでしょう。


私が初めて簡単に死ねないことを認識したのは、5歳くらいの頃だったと思います。あの時のことはよく覚えていて、なにかつらいことがあって、苦しかった時に、地下鉄銀座線の駅の柱に頭を打ち付けたのでした。当時の自分にも脳が人間の思考の源泉であることはわかっていたので、その脳を破壊すれば、苦しみから解放されるのではないかという単純な考えでした。すぐに祖母に止められた記憶があります。その時が最初の「簡単に死ねない」という体験だったと思います。

しばらく時を進めて、私が中学生の頃の話をします。中学生になった自分は立派なファッションメンヘラをやっていた記憶があります。今思えば微笑ましい話ですが、その日その時の感情に嘘はないのです。中学校の最寄駅のベンチに座りながら、「自分は20になる前に、もしかしたら大学生になる前には死ぬのだろうな」ということをぼーっと考えていました。その時に明確に何かがあったわけでも、強い希死念慮に駆られていたわけでもありません。ただ、命というものを、儚くて美しいものであると、そう思っていたのでしょう。若い人が「太く短く生きたい」と言うのと同じ話です。また、単純に想像力の欠如というのもあったと思います。私には「大人」になった自分が想像できなかったのです。


さて、前書きが長くなりましたが、ここからは「死ねないことに気づいた」時の話をします。

順調に歳を重ね、19歳になり、20歳が近づいてきた頃には、中学生のあの時に想像できなかった、とっくに死んでいると思っていた自分が20を迎えようとしている、という事実に実感が伴い始めていました。この頃、私は明確に、「私は私の思うようには死ねない」と思い始めたのです。

人間は必ず死にます。だから、「死ねない」ことなどないのです。それでも、私にとっては、きっとこのまま30歳になり、40歳になり、もっと歳をとって、それでも生き続けて朽ちていくという直感は、若い頃の、死にたがりの自分にとっては打ちひしがれるに十分なものでした。将来への不安、そして死という救済はそうそう訪れない。死ぬことなんてできないから、生き続けてしまう。ダラダラと生きる平凡な「何者か」になってしまうということに気づいてから、何かを諦めたような気がします。


「人生は苦しくて当たり前」

これは誰に聞いたか忘れたのですが、私の曽祖母の言ったことを誰かから聞いたのだったと思います。この言葉に続く言葉はありませんでしたが、その言葉が意図していたことは「それでも生きていかなければならない」ということでした。人間は簡単に死ねやしない。苦しみながら生き続けることになる。でも、「死ねない」のだから生き続けるしかない。そう、自分はこの言葉を解するようになりました。


ふと、人と「死ねないことに気づいた」という話をしたので、この文章を書いてみました。

もしあなたが「死ねない」ことに気づいていないなら、そのままでいてほしい、と私は思いました。「死ねない」ことに気づくということは、きっと諦めなのだと思います。あなたはきっとまだ美しい。「死ねない」ということは、自らの思いに反して「生きてしまう」ということだから。

もしあなたが「死ねない」ことに気づいていたら、生きてください。一緒に苦しんでください。そうして私と一緒に朽ちていきましょう。このクソ人生に悪態をつきながら、一緒に泣いて、そうしてこの人生をやり過ごせたら、悪くはないかもしれませんね。