わたしだけのうみ

1週間ほど前に実家に帰省した。忙しない日もあればゆったりと過ごした日もあったが、あっという間に時は過ぎてしまった。明日の早朝、僕は故郷である沖縄を発つ。

僕は20年ほど沖縄に住み、大学進学を機に関西の地へと足を踏み入れた。都会の世界を見てみたい一心で勉学に励み、関西の国公立大に進学した僕にとって、大阪という大都会は夢のような場所であった。沖縄では得られない体験。ライブや遊園地、同人誌即売会にテレビの中でしかみられなかった観光地。全てが僕にとって手にしたかったものであり、関西の水があっていた僕はこの地で生きる魚となった。

故郷の海に帰る気はないか、と問われると、かなりの間長考すると思う。故郷の海が恋しいか、と問われたら、迷わずに恋しいと言う。僕にとっての故郷は、全てを得ることはできない不便な現実であり、しかし僕を構成するものの大半であり、切っても切り離せない、当たり前のように僕の心にいつもある存在である。

故郷の海が好きだ。リゾート地として想像されるような白い砂浜のあるビーチも。観光客が寄りつかない地元民だけのひっそりとしたイノーも。

※イノーとは、沖縄の方言でサンゴ礁に囲まれた浅い海(礁池:しょうち)のことである。

僕の幼い頃の記憶の大半は、家族と出かけた海である。楽しくないことは忘れる都合の良い頭をしているので、楽しかった海遊びのことしか僕の矮小な脳みそに存在しない。

砂浜や浅瀬でアサリやハマグリを獲った。塩の満ち引きをカレンダーで確認しては、もずくを採りにいったり、イノーで遊んだり、タコやエビを取るべくイザリ(大潮の夜、浜で漁をすること)に出た。その中でもひときわ楽しい思い出として、脳裏に焼きついているのが熱帯魚釣りだ。

潮が大きく引いたタイミングで、イノーに取り残された熱帯魚を練り餌で釣る。ただそれだけ。水族館やペットショップの水槽でいつでも見れる熱帯魚が、僕の足先の小さなイノーで泳いでいる。それだけで僕は、この広い海の全てを手にしたような気持ちになった。浅瀬に足首まで浸り、水平線を眺めれば、海の一部になれたかのような気持ちになった。海で遊ぶということは、海を手に入れることであり、海そのものになることだった。

そんな僕が大好きだったイノー遊びは、関西の地では決してできない夢のようなことである。僕にとっての現実だった海は、関西の水で生きることを選んだ魚にとって、懐かしくて恋しい、夢にみるようなものになった。

僕は年に3回ほど故郷の海へと帰り、海を手に入れ、海そのものになる。潮の匂いに惹かれて海に誘われる。浅瀬に立ち、足首から先が海に溶けた状態で波の音を聴けば、自分の鼓動が波の音とひとつになる。僕の心臓は海に溶け出し、引いては寄せる波音が僕の鼓動となり、僕を生かしている。僕は海であり、海に生かされている。

時々僕の現実はどこにあるのか、どちらが現実で夢なのか、わからなくて不安になる。そんな不安を、海は優しく溶かしてくれる。僕にとっての現実がどこにあるのかは分からない。それでも。僕が海であり、海に生かされた命であることだけは確かである。たったひとつの確信で、僕は夢だか現実だか分からないこの世界を、確かな足取りで進んで行ける。

次に故郷の海へと帰るのは4ヶ月近く先になる。きっとその間にたくさんの不安を積み重ねる。息ができなくて陸で溺れ死にそうな日もあるだろう。それでも、僕の海に帰ればそれを全て溶かして、遠い沖へと連れていってくれる。僕だけの海。僕を生かしてくれ、僕そのものである、僕だけの海が。

明日になれば、僕は現実だか夢だか分からないごちゃごちゃの世界に引き戻される。そこに家族は居ない。僕は1匹で関西の魚として泳ぐ。その事実がすこし怖くて、ひどく寂しい。

寂しさを紛らわせるために、明日は都会に寄り道でもしようか。水族館に行くのもアリかもしれない。僕の海がない世界で、僕は手探りに泳いでいく。いつかこの地も僕の海になればいい。そんな願いを込めて。

明日は6時発の飛行機だ。乗り遅れることがないよう、僕はアラームを4時にセットしてベッドに潜り込んだ。眠たくなると、足首が海に溶けたような感覚になる。夢の中でも僕だけの海に出会えたらいいな。そんなことを思い、僕は日記を書き終えてスマホを枕の横に置いた。

@corgi_matasita
日記ときどき推しへの怪文書