毛根、桜木、禿げた杉

毛根を焼いた。桜が少しずつ散っていき、葉桜とも言えぬ中途半端にハゲ散らかした姿を曝け出す、ブサイクな春の日のことであった。

少し前に僕の心を揺り動かした満開のそれは、一週間もたたないうちにひどく見窄らしい姿へと変わってしまった。桜は散るからこそ美しいというが、あくまでそれは花びらだけの話である。散ってしまった後の桜木そのものはひどくブサイクである。青々とした葉桜なら美しい。が、中途半端に咲いている姿ほど興醒めするものはない。いっそのこと一夜のうちに全ての花弁を散らしてくれないだろうか。そう言ってしまいたい気持ちを抑えて、ただ僕は「儚いね」と、隣の彼女に聞こえる声でポツリと呟いた。

嘘である。僕には桜を一緒に見て歩いてくれるような彼女はいない。そこにはハゲ散らかした悲しい桜と、今から全身の毛根を焼きにいく悲しい独り身しかいない。そう、全身脱毛である。

皆さんは全身脱毛をしたことがあるだろうか。この世には色んな痛みがごまんとあるが、身体中の毛根という毛根を細い針で刺すが如き拷問をエチケットなどと宣う電車広告は滅ぶべき悪である。拷問が一度で終われば良い。いや良くはないが、悪の総本山の手下(看護師さん)が言うには毛には生える周期とやらがあり、一度の拷問では毛根を絶やすことは難しいらしい。すると、しぶとくも拷問を逃れた一部分のムダ毛はどうなるのか。

ハゲ散らかした桜のごとく現れるのである。

ムダ毛とするにはあまりにも太く立派な剛毛が点々と生えてくる様は気持ち悪い以外の何物でもない。桜に対してあれだけブサイクだの興醒めだの言ったが、人に不快感を抱かせないだけ僕の足よりは遥かにマシな存在である。僕のすねに生えていた豊かな黒い草原は、拷問を経て人に不快感を与えるハゲ散らかした荒地へと変貌を遂げてしまった。中途半端に残った毛が某薄毛芸人の頭髪を彷彿とさせ、しかし僕の脛から生えたそれの方が太くたくましい姿をしていると思い、ひどく虚しい気持ちになった。

僕は本当に毛根を滅ぼすべきだったのだろうか。悪の総本山に当然の身だしなみの一環だと唆された僕は、後先考えずに豊かな大地を焼き尽くしてしまった。思えばあのフサフサとした黒い草原はそんなに悪いものではなかったのかもしれない。しかし失ってからではもう遅いのである。今から脱毛を辞めても僕の足は永遠にハゲ散らかした桜木のまま、二度と満開になることはない。人様の前に出れば拷問に耐えかねて逃げ出した臆病者と指を刺される、一生銭湯に行けない荒地野郎の爆誕である。

僕は数ヶ月の時を経て、自分が始めた物語を終わらせることを選んだ。決して悪に唆された結果、毛根を全て焼き尽くすことがエチケットだと思ったわけではない。ただ、ここで撤退しては死んでいった毛根達に顔向けができない。ならば、すべて焼き尽くしてツルツルになった足で銭湯に行くことこそが彼らへの弔いなのではないか。そう思った僕は湘南○容クリニックの門を叩くため、重い足を一歩外へと踏み出した。

きっと今度の拷問を経ても、なおしぶとく生き残った恥知らずの毛根達が猛々しく現れてくることだろう。次に満開の桜を眺める時には生命の息吹を感じない足になっているだろうか。いち早く拷問を終わらせたい僕は足早に花筵を歩く。

足を引き留める満開の桜は、もうどこにもいなかった。

@corgi_matasita
日記ときどき推しへの怪文書