一人暮らしをしていると(ついでに言うと独身)、「家に帰って毎日1人だと、寂しくないのか」と聞かれる機会がたびたびある。一人暮らししてから何度か勤め先が変わったけれど、それでも必ず誰かに、そして複数人に聞かれる。
それに対する答えが揺らいだことは1度もなく、「ぜんぜん」とだけ返してきた。人恋しくて眠れない夜などもないし、1人である自分がみじめに思うことも全くない。たまにもう少し寂しがってもいいんじゃないか?と自分の心に問う時もあるけど、やっぱり心は凪いでいて、だから?くらいのものだった。もしかして自分は淡白すぎるのではないか、もうすこし、自分の生活の範疇に他者がいることを想像したらいいんじゃないか……とそれはそれで悩むこともある。なにせわたしも良い歳だし……そもそも、両親が今の私と同じ歳の時には、すでに子供が5人もいた。思い返してゾッとした。(ついでに11月23日は両親の結婚記念日だ。)
で、その5人もいる子供の中の長女であったのがわたしだった。昔のせまい六畳二間のアパートに、家族7人で布団を敷き詰めながら生活していた(大家族とかでみる光景の、ちょっと規模がちいさいやつ)。
となると、家にはプライバシーなどはあってないようなもので、当然こどもの頃から『自分の部屋』に憧れていた。こども部屋、という存在はおとぎ話を聞いてる時くらい夢のある甘美なひびきで、友達の家に遊びに行ったとき、『部屋』に案内されると、まるでその子の宝箱かなにかを見せて貰えたようなワクワク感があった。流行りのまんがやゲーム、ぬいぐるみ、ベッド、かわいいカーテン! あと、友達のお母さんがたまにジュースを運んでくれたり。友達一人一人違って、それを見るのが好きで友達の家に行くのが好きだった。子供の世界を没入感たっぷりで楽しめたから。あれって、子どもの頃のわたしの『夢』だったんだと思う。
だから、ほら。たぶん、私は今子どもの頃の『夢』を叶えたんだと思う。ただいま、と誰が聞く訳でもないことを、心の中で自分に言って、仕事帰りの鞄を下ろし、洗濯機をまわしながら夕飯の支度をする。そのメニューだって、だれかに言われてるものでもないし、食べたくなければ明日にしても良い。お風呂に好きなだけ好きな温度で湯をはって、入浴剤をどれにしようかと選んで、好きなだけ入る。スマホの持ち込みも可だし、なんならたまに歌もうたう。私はけっこう音痴だけど、隣人も居ないし、窓もしめきってるし、大音量でなければ歌いたい放題だ。人には絶対に聞かせられない歌声を、すっぱだかで好きなだけ歌えるのだ!
カーテンは夜空の柄にした。一目惚れで、ちょっと高いけど奮発したおきにいり。部屋の大部分をカーテンの柄が占めるから、結果として良かったと思う。しょうじき、オシャレな家からは程遠く……なにせ、はじめての『部屋』なので、まったく分かってなかった処女作ってかんじ。
だけど、これがこどもの頃夢見ていた自分だけの宝箱だと思うと、寂しさが生じる暇もないのが今なのかもしれないと思った。部屋のまんなかで、スマホをいじって、お菓子をつまんで、寝たい時に寝る……そんな些細なことをまだ噛み締めていたい。私は今、大人を演じている、夢見るこどもなのかもね。