わたしを動かすゼンマイ

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"主体性をもって、自発的に、積極的に、優先順位をつけて…………"

これらのこと全てが不得手だな、って、小学生の高学年くらいからなんとなく感じていた。挙手することも、頼まれたことにNOということも、様々な人から別々に与えられたやるべきことに順番をつけてこなすのも苦手。『どうしたらいいんだろう?』という漠然とした色のないモヤモヤが、心臓の奥くらいをやわく締め上げて、寝る前はさらに締めあげられるみたいな、そんなかんじ。『分からなかったら、聞いてね』と言われることすらも苦手で、そもそもどうやって聞いたらいいのかもわからなかった。愛想笑いだけが上達していったと思う。

大人になって変わったか?といわれたら、特に変わっていない。今でも主体性だとか、積極性だとか、優先順位とかの単語が評価に『無い』と書かれている。色のないモヤモヤに締めあげられる反面、その通りだな〜〜って納得するから反論もしない。これじゃあダメだな、とちょっと頑張ってみたこともあったけど、毎回空回りして、心だけがすり減った。意見の対立も避けられなくなるだろうし、悩みも増える。仕事……もしかしたら、人生を辞めたいくらい嫌になるならこのままでいいなって、諦念もあれば打算的にもなっている。いいように使ってくれたらいいし、わたしは会社に反発しない。磨きに磨かれた愛想笑いは『笑顔が良い』と好評価で、職場では諍いもなく人の間を縫うように潜り抜け……家に帰ってからはひとりきりの自由を謳歌している!

七畳の自由の城の真ん中で座椅子に座ってインターネットの海を泳いでいる。隣にちいさなヒーターがあって、温風があたるところだけ熱い。もうすぐ昼だし、お腹がすいたなと思うけど冷蔵庫に食材はなかった。買いに行かないと食べ物は無いのに、動きたくないが勝ってかれこれ1時間座り続けている。これを自由と呼ぶ時もあれば、停止だと呼ぶ時もある。

自分が本来は社会に適していない人材であることは、こどもの頃からなんとなく分かっていた。それでもわたしは社会に出た。社会に出たわたしは主体性がなかろうが、積極性がなかろうが、しっかり真面目に働いてきた。働いて帰宅したあとの達成感が好きだったし、そのあとの開放感も好きだったし、一度動けば動き続けることが出来たから。主体性のないわたしが、そもそも家で仕事などできるわけがない。家はこうして、自由(停止)を許すためにあるし、それを許せるのもまた、家の外で『働いて』きたからなんだから。

社会に出て働くということ、それがわたしを動かすゼンマイ。なので、この停止も許そう……ううん、まずは買い物、行こう。

@cpllfa
物語の果てで、きみを待っている。