思い出のありか

85
·

わたしはRignotes(リグノーツ)という一次創作を描いている。絵を描いて、小さな漫画を描いて、言葉を連ねて、あとは見る人の想像に任せているくらい、不確かで──言い方を変えると可能性がたくさんある段階。そのRignotesのなかで、根底になっていて揺らぐことは無いテーマに『記録』がある。

Rignotesを簡単に説明すると、人間を愛したバードリングの青年、リグノーツ・フラムスティードの記録だ。フラムスティードは、その記録を毎日の日記という形で行っている。彼をとりまく人々の物語は、彼のノートのなかで親しみを込めて綴られていく。世の中にあるさまざまな記録のなかで、最もやさしく、最も身近で、最も書き手の思いが反映されるのが日記だとわたしは思っている。だから、この物語は彼が愛した人間たちのためにあるし、日記に書かれた人物のみならず、彼も語り手であり登場人物であるのだ。

それって、ワクワクしないか?どんな心地なんだ? と2年3ヶ月前の私は思った。毎日欠かさず日記を書くことの労力に、自分のキャラクターながら素直に関心したし、好奇心から体験してみたいと思って──わたしは、そこから日記を書き始めた。フラムスティードにならって、1日1ページを埋め続けてきた。自分の1日という、世界の中でかなりどうでもいい部類の単位がノートに綴られ、可視化され積み上がっていく。それに楽しさを見出したのが3冊目に入った時だった。とくに歳を重ねれば1年なんて速すぎて、そのなかの1日なんて気にもとめなくなっていくだろうから、少しページを戻るだけで『あの日』がそこに存在していることにわたしは満足した。

傲慢だけど、わたしはわたしの生きてきた道を忘れたくないのだと思う。どう足掻いても、いずれ忘れていくことは介護従事者であるが故に身をもって知っている。それでも『記憶』には魂があると思っているから、わたしがわたしとして生きていくために、わたしが生きてきた過程を出来ればずっと抱きしめていたい。リグノーツ・フラムスティードが同じ心地かは分からないけれど、彼は確かにあまたの愛する人間たちと生きているのだと思う......と今はこの答えを出してみた。

2年3ヶ月、一度も欠かしたことのない日記は机に塔を築き始めていた。わたしはこの積み上がるノートに、誇りとか、勇気とか、達成感とか感じている。日数にして825日。825ページの思い出がそこにある。

あしたには826ページになるはずだ。

@cpllfa
物語の果てで、きみを待っている。