『トラペジウム』の感想/東ゆうをどう理解したらいいのか

cubbit
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 映画『トラペジウム』を観てきたので、紹介と感想を書いていきたい。この作品は理解し損なうとなんだか苦みしか残らなくなってしまうので、どのように味わったら楽しめるかも案内していきたいと思う。PVからわかる以上の具体的なネタバレはないようにしている。 

 高校生の東ゆうはある日、同じ市内にあるいわゆる「お嬢様学校」に忍び込む。勘違いでテニス対決をさせられた流れで、優雅な言葉遣いをする美少女、華鳥蘭子と友達になるが、それはゆうが心に秘めた計画の第一歩だった。アイドルになるための計画がぎっしりとしたためられたノートを持ち歩き、新たな「友人」たちと遊ぶ裏で着実に『計画』を進めるゆう。偶然も手伝いチャンスを掴むゆうだったが、『計画』がうまくいくほどにやがて他のメンバーとのすれ違いが生じ……。

 ゆうは表面的には『嫌な奴』『腹黒い奴』として描かれており、主人公らしくない自己中心的な言動が受け付けなかったり、無茶な計画に納得していない視聴者も少なくなかったようだが、筆者はこのゆうのキャラクターが好きである。それは、ゆうの才能のなさを自覚しながらも夢を諦められないひたむきさ、挫折を知ったゆえの苦しみに、どこか共感を覚えるからだと思う。

 誤解してはいけないところだが、映画のなかでも幼い頃の様子で描かれているとおり、ゆうは本来は優しい性格だ。しかし、ずっと前からアイドルになるために何もかも犠牲にする覚悟を決め、それでもなお挫折を味わっており、実は物語が始まった時点で、すでに相当に追い詰められている。才能には恵まれなかったゆうがアイドルになるには、優しさを押し殺してあのように振る舞うしかなかったのだ。しかし当然ながらその振る舞いは作品の中で肯定されず、周囲を傷つけた報いが訪れる。『トラペジウム』は、「努力はいつか報われる」「諦めなければ夢は叶う」というような前向きなメッセージの作品ではない。ゆうの信念は周囲を傷つけ様々なものを失うが、かけがえのない友情も確かに育んでいた。その友情が孤独だったメンバーを救い、ゆう自身をも救う物語なのである。

 このゆうのキャラクターをよく理解しておかないと、ただ自己中心的に周囲を巻き込んで振り回したのになんとなく他のメンバーに許されてめでたしめでたし、という釈然としない筋書きに見えてしまう。ゆうもまた追い詰められていたこと、結果的にだがゆうの行動が他のメンバーを救っていたことに目を向けておくと、物語を理解しやすいと思う。あの奇抜かつ周到な計画や大胆不適な行動は、焦りと絶望から生じた苦し紛れ、起死回生の一手だったのである。

 ゆうの挫折については冒頭では視聴者に対して意図的に伏せられていて、視聴者はゆうの強引なところばかり見せられるようになっている。それが中盤以降に明らかになり、ゆうに対する視聴者の印象をひっくり返す仕掛けになっている。逆にいえば、このタイミングでゆうを好きになれないと『トラペジウム』を好きになれないと思うので、「ゆうは良い奴」と自分に言い聞かせてから観に行ってほしい。

 主軸は挫折と再起の物語ではあるが、取ってつけたような展開ではあるもののちゃっかりハッピーエンドに持っていくので、東ゆうというキャラクターを理解できれば後味は悪くないようになっている。個人的には最後の場面は無くてもよかったように思うが、それは苦悩や挫折やギスギスを栄養分として消化できる強靭な胃を持った上級者の感想かもしれない。そうでない視聴者にとっては、最後の場面がないと虚無感しか残らなくなってしまうかもしれないので、納得はできる。ちなみに作画やキャラクターデザインなんかも非常に良い。『トラペジウム』とは英語で台形、または平行な辺のない四角形という意味だそう。『歪な四角形』とでも言ったところか。四人は綺麗な正方形にはならなかったが、ちゃんと強い絆で繋がっているのである。


 この記事は月刊百合漫画ソムリエ通信6月号として書いたのだが、あまりに百合の文脈から外れてしまったので改題して少し構成も修正した。