先日、社内でなぜか、芸人・鳥肌実の話になった。 決して表舞台には出てきていないはずなのに、同世代の男子はだいたい知っている。なんでだ。
大学生のとき、当時ですら販売(生産?)中止になっていたライブCDを目的に、保有していた先輩の家に泊まり込んで何度も聞き直した。特に意味はない。当時も今も面白いものではないのだが、中毒性があったことは間違いない。
その中毒性は、ネタの中身や危険性、見た目の宗教性だけではない。きっと「周囲が知らないであろう鳥肌実にはまっている自分」への中毒。当時のサブカル系の若者はその沼にはまったのだろう。
シュールレアリズムなお笑いは衰退と繁栄の繰り返し。繁栄が長かったことは見たことがない。 シュールなお笑いが分かっている俺すごい、は成長して冷めてしまう。ネタの良し悪しではない。聞き手の問題。
ただ、その領域の開拓者の一人であるふかわりょうにしろ鳥肌実にしろ、最前線にはいないもののネタが未だに語られるすごさよ。。こういう人たちってたまたま選んだのがシュール(あるある)ネタってだけでなにやらせても成功したんだろうなとも思う。