40歳手前にして物欲について考えることなんて想像もしていなかった。
しかし、これは自分の人生を考えるうえで避けては通れない重要なテーマになりつつあるので、このタイミングで言語化しておこうと思う。
自分の特性に気付いたきっかけ
物欲の前に自分の特性について語ろうと思う。
これに気付いたのもここ数年の話なのだが、自分はどうやら発達障害(主にADHD)というものらしい。機会があって何度か精神科医の先生のカウンセリングを受けた際に指摘をされた。「恐らくというか十中八九、発達障害だろう」「検査を受ければ処方箋の提供が可能になる」「生きづらさは多少は投薬で解消されるかもしれない」「ただしそれだけ。数時間かかる検査と検査費用数万円がかかることになる」
投薬は嫌だったし、病院からすれば投薬患者を抱えればそれだけ儲かることになる。どこかで読んだ本で抗うつ剤についてもこういう流れで投与されることが多いと書かれていたこともあって、検査は断った。
ただ自分のこれまでなんとなく苦手に感じていたことと向き合うヒントにはなる気がしていて、むしろ前向きだった。元々疑い深い性格なのもあり、自分の特性や生活習慣を言語化して、その筋で評判のいい病院(たまたま当時の勤務先の近くにあった)にセカンドオピニオンとして駆け込んだ。
「ええ、その先生の言う事や改善策はすごい真っ当で、あなたは私から見ても発達障害の疑いをまずは考えますね」と。
はいはいそうですか。といいつつ苦手なことが「絶対あなたはこれが苦手なんです」と言われるのは心地がよかった。結果、そこでも検査は受けずに帰路についた。
苦手なこと
どこかでそれぞれ深掘りができればいいと思うがざっと列挙すると以下のようなものだ。
ものを見つけられない。
短期記憶が苦手でメモしないとすぐ忘れる
先延ばしグセ
土壇場の追い込みでどうにか乗り越えてきた(過集中)
仕事を覚えるのが苦手。
首に触れるものや、濡れたものに触れるのが嫌(感覚過敏)
細かい作業が苦手
ルーティン作業も苦手
時間の使い方が下手
欲しくなるとすぐものを買ってしまう(衝動性)
結果、貯金とか計画性を伴うものが苦手
まぁいろいろある。これまでなんとなく苦手だなぁと思うことのほとんどが、発達障害の本に書いてあった。
何度も繰り返すが、これまで苦しんでいたことの「背景や理由がわかる」ことは自分にとって心地が良かった。死ぬまでついてくる特性なら、できること全部やってあらがってやる、そんな覚悟が決まった。たしか36歳のときだった気がする。
物欲について
ようやく本題。これまで自分はお金の使い方が下手で、その理由は物欲が強いからだと思っていた。
小さい頃からもらったお小遣いは1週間以内に使い切っていたし、社会人になってからもほしいものを買ってから生活を考えるので基本的には借金に頼って生活をしていた。
年をとるにつれてほしいものはどんどん増えていくんだろうなと思っていた。高級外車、時計、家具、お金なんてなんぼあってもいいですからね。
しかし、30代になり徐々に収入が増えるにつれて、あれ?そんなことなくね?ほしいものそこまでないぞ?ということに徐々に気付き始めた。そうなると自分の特性についての仮説に矛盾が生じることになる。
「お金の使い方が下手で、その理由は物欲が強いから」
ほしいものがあるのではなく、もしかしたら発達障害の特性の一つである”衝動性”狂わせてるかもしれない、という新たな仮説が生まれた。
現在進行系の改善
この仮説に対しての自分が出した改善案はシンプルで、「俺よ!その場所に行くな!買う理由を明確にしろ!それに時間をかけろ!」というもの。
まず、ものを見るから欲しくなる。それであればお店に行く回数を圧倒的に減らせばいいのだ。それだけが理由ではないが、都心から神奈川のはずれに引っ越す決心がついた。
加えて、ほしいものが出てきた場合は欲しい理由を自分に問う。買っていい基準みたいなものをスマホのメモ帳の一番上に置いて、ほしいものが出てきたときにそのメモをまずは見るというルールを自分に課した。
そして、これらをクリアしても即決せずに1日以上検討することも自分に課した。
ただし面白いのが、これまで30年以上一緒に過ごしてきた”衝動性”というやつは非常に強固で、この壁を簡単に突破して自分に買い物をさせてくるということだ。もうこれは仕方ない。だってそういう性分なんだもの。
出ていくお金は体感的に減ってはいない。しかし少しだけ生きやすくなった。
課題(物欲ではなく衝動性)が明文化され、それに対して対策を行える喜び。
まだKGI(支出)は減っていないが、KPI(買い物ルールの徹底)を定点観測できる環境が整った。
人生はまだ折り返し地点。
これからもいいものに出会って買い物して人生は豊かになるだろう。そしてここからの衝動性の改善が楽しみで仕方ない。