0123例会・叔父が死んだ

cutmynail
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午後1時起床。出かける用事がある前日はなかなか眠れない。

あんスタのイベントが23日の夜までだったので朝5時ごろまでひたすら叩く。

私はゲームに生かされている。何の責任も義務も持たないで生きることはほとんどの人間にはできない。なのでイベント中にレアカードを取るという「義務」を進んで行っている。

アラームが鳴ったが寒い、眠い。1時間くらい布団の中でウゴウゴしてからお風呂に入る。履こうと思っていたスカートを履いてみると太い足が見える。すごく太って嫌だ。別のスカートに変える。

電車に乗って京都へ向かう。人が多い。気分が沈んでくる。人の多いところに突然行くと心臓がドキドキするし、発狂してしまうのではないかという不安でいっぱいになる。周りの人間を人間と捉えてしまうと苦しくて仕方ない。イヤフォンで音楽を爆音で流し、周りの音を遮断する。

京都に着いて京大近くでH氏が主催する社会学サークルの例会の待ち合わせ場所に行く。

しばらくサークルの催しにも行っていなかったのだが、今回は「リフレクティング」という珍しい手法を実践するというので来てみた。特にテーマが自分の悩みにぴったり合っていて、「自分は親に愛されていたか」ということを自己開示し、他者から見た自分の自己開示を俯瞰するというので、不安も大きかったがH氏とはかなり長い付き合いなので、まあ大丈夫だろうと参加した。

男女が数人集まって部室を借り、一人一人と自分の過去を話す。私は一回聞き手にまわり、最後に話し手になった。

気づいたのだが、私は他の人より話すことが多い。というより、親との関係についての記憶を幼少期から今まで悪夢のように何度も反芻して思い出しているため、結果的に多めに時間を取っても、小学校のことまでしかちゃんと話せなかった。

私だけの会ではないので時間をもらうこともできず、また私が話し終えたときには夜の10時近かったのですべての参加者が話し手にまわることはできなかった。

途中でスマホを見ると父からLINEが来ており、母の弟、つまり叔父が今朝亡くなったという訃報が入った。父は離婚した今では他人なのでなぜ父から連絡がくるかわからないのだが、大方母親が私と連絡を取りたくないので父に頼んだというところだろう。

去年の冬に祖父が亡くなって、母は妹弟と資産について係争中だった。母の胸中がわからない。実の弟ではあったが、特段親しい感じもしなかったし、母は妹(叔母)と非常に仲が悪く、叔母の娘と私を競わせて自己満足を得るような節があった。しかし叔父は男だからなのかその人生の長き喧嘩には加わらないで、綺麗な奥さんと娘二人(私のいとこにあたる)と暮らしていた。

自営業でかなり貧しい生活だったらしいが、娘二人は非常に快活で、今はとっくに結婚して子育てをしている。といっても私は親戚付き合いを一切していないので私の記憶の限りではそうである。その後離婚したとかどうとかの情報はないので、多分今も幸せに暮らしているだろうと思う。

叔父は太っていて、一族でも珍しいアニメオタクだった。家族から疎まれている感じがあった。私の世代(20代)であればアニメ好きも普通に感じるが、50代の叔父ではやはりアニメオタクは不気味、変人扱いされやすかったのだろう。

小学生くらいのとき、親戚の集まりで大人たちの会話も辛気臭く、ただぼーっとテレビでアニメを見ていたら、叔父がそばにやってきて、ガンダムのこれがこうで(詳しくは覚えていない)、るろうに剣心のあれがこうで、と小学生の姪(私)に一生懸命話しかけてきたのを覚えている。それは私と親しくなりたいというよりも、私しかアニメの話を聞いてくれる人がいない、といった切実なものを感じ、私は無視するのも忍びなく、何を言ってるのかわからないまま「はあ、はあ、へえ」とうなずいていた。

思い返すと叔父との思い出はそれくらいである。親戚の集いにもなにかと理由をつけて行かなくなり、叔父と会うこともなかった。いとこが結婚したとか娘が生まれたとかいうので、まあ、仕事は順調でなくとも孫がいて、外から見れば幸せだったのかもしれない。

叔父のことを何も知らないまま叔父は死んだ。まだ50代だったはずだが、肥満体で体調はいつも悪そうだった。私は叔父のことを哀れな存在のように感じていた(それは母がいつも「あそこはいつも貧乏で」とひどいことを吹聴していたからだ)が、死ぬかどうかという間際に、金持ちだったか貧乏だったかなど考えるものだろうかと思う。それよりも元気で素直な娘が二人もいて、美人の奥さんが仕事を支えてくれて、よい人生だったのではないか。

私は叔父の訃報に接したときに、ちょうど自己開示をしていた。自分の幼少時のことを話している真っ最中だったので、動揺もあったが、まわりを心配させたくなかったので、帰りの電車でスマホを開き、文章を書いて落ち着こうと思ったのだが、スマホのポータブル充電器の充電がゼロで、スマホ自体ももうすぐ充電が切れそうだったので、仕方なくSwitchでyoutubeを開き、あんスタのコンテンツで北村諒と山下大輝がスイーツを作る番組をボーッと見ていた。うっすらとしか思い出せない叔父のこと、母になにか声をかけるべきか、私も葬儀に出席する義務があるのだろうか、など。

北村諒ってそういえば昔アチナミってモデルと付き合ってたのに、いつの間にか女優と結婚したよなあーとか、いろんなことが頭によぎった。

芸能人が結婚すると、えー意外とか、あー残念だ、とか、色々考えるけど、生まれては死んでいく生命の循環の中で、番となって命を誕生させる(異性愛で、出生に肯定的なカップルであれば)なかの、一つの儀式なんだよなあと思う。私がしてきた恋愛とも呼べないものとはまったく異質の、つまり自分の葬儀の喪主になってもらう人、死に目の最期に目に映る人を選ぶということが結婚なのか、と思うと、北村諒の結婚を茶化してたけど、彼も人生の決心をした一人なのだとなんだか尊敬の念すら湧いてきた。あと、精神的に不安定なときにどうでもいい動画を見るだけで非常に安心できたので、北村諒と山下大輝には個人的に感謝したい。

父からのLINEに「そうか。。。」とだけ返したら返事がないので、たぶんお通夜に行く必要はないだろう。私は病気のため冠婚葬祭を免除されている節があるし、親戚たちも障害者をわざわざそういう場に呼ぶのも嫌がっているようなので、行かないでよいなら行きたくない。

今日は悲しいけど、もう来週になったらこの悲しい気持ちもなくなる。全部殻の中に閉じ込めて忘れてしまえば、どんな感情にも揺さぶられない。これ以上悲しい気持ちや苦しい気持ちを味わうのは嫌だ。

私がもし自殺しても、私自身はそんなに不幸な人生ではなかったと思う。だから叔父も、そんなに不幸じゃなかったと思いながら死んだと思いたい。そうでなければ、悲しいから。