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cutmynail
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正午起床。

なんとか今日という日を乗り切って安堵の気持ちと、ただひたすら不快な気持ちがないまぜになっている。

正月から欠かさず続けていたこの日記だが、昨日も更新しなければと思っていたけれど、生理による眠気と、クエチアピンを大量服用したせいでほとんどまともな文章が書けず、一日サボってしまった。

今日もクエチアピンを飲んで気持ちよくなろうかと思ったが先に日記を書いておこうと思う。

昨日なぜクエチアピンを大量服用したかというと、17日に精神科の予約を取っており、翌日に絶対に外出しなければならないと思うと気がおかしくなりそうで、普通の人なら酒に逃げたりするのだろうが、体質上酒が飲めないので薬をたくさん飲んだというだけである。

私が安定剤を大量服用するのはなにも「死にたい・・」「もうだめだ・・」というような感情から行うものでなく、もっぱら現実逃避、つらい感情の緩和のために行うものである。酒が飲めるのなら別にしなくていいことだ。酒をガバガバ飲んでいる人のほうがよっぽど精神的に危うい人が多いと思う。

去年の8月に初診を受けてから、とにかく病院に行きたくなく、身内に薬だけ取ってきてもらって速達で送ってもらうことでなんとかその場しのぎに薬を得ていたが、その身内とも精神的に付き合うことが辛く、(というか、私は気が高ぶると他人を罵倒するという悪癖があり、相手に助けてもらっていてはさすがに罵倒することもできないので、相手を罵倒したいがために助けを断ったのである)久々に自分一人で通院することになった。

朝起きて「やっぱり外に出られない」と思ったので恥を忍んで別の身内に「精神的にしんどいので代わりに行ってくれないか」と頼んだが、「自分で行け」と言われたので「おまえはクズだ。早く死ね」と返事して、エイと布団から出て、昔のバイト先の上司からパクったあったかいアウターを着て外に出た。マスクもしてアウターのジッパーを上まで上げ、フードをかぶるとフォールガイズみたいな見た目になる。とにかく肌を外気に触れさせたくないので、目のまわり以外は全て隠す。

電車の中でSwitchしようとしたが、データでソフトを購入している場合はインターネットがないと遊べないことを知った。仕方ないので周りの声が聞こえないくらいの音量であんスタのキャラソンを聴きながらTwitterをする。目に映るすべての人間が鬱陶しく、みんな気持ち悪い顔をしていて嫌だなあと思う。そういうとき頭の中でゴウンゴウンという音が鳴る。工場で聞くような鈍い音だ。ゴウンゴウン、ジジジ、ゴ―――・・・

梅田の精神科に着いて待合室に座る。真冬用のアウターを着込んでいると暑くて汗ばんでくるが、脱ぎたくないのでそのまま着ている。結構早いうちに診察室に呼ばれた。初めて見る医者だ。私の様子を見て「調子が悪そうですね」と言う。

「薬強くしてください」

「じゃ抗うつ剤を出しますね」

「睡眠薬も強くしてください」

「じゃ今飲んでるのを二錠にしましょう」

学生の頃は強い薬をいくらでも出された。それもだんだんと国が規制していって、医者も強い薬を忌避するようになり、軽めの薬を量だけ増やすというような処方をするようになった気がする。ごねるのも面倒なのですぐ部屋を出る。精神科は3分診察と揶揄されがちだが、3分も診察するのはまだ良心的で、たいていは30秒程度である。

処方箋をもらって薬局で薬をもらう。だいぶ待たされる。身内に私の金を使って薬剤師になったやつがいるので、薬剤師には非常に強い恨みがある。

だいぶ長い間待たされ、薬を手に入れて家に帰る。コンビニでご飯を買う。

とにかく大阪というのは汚らしくて、人間も卑しい。私は大阪で生まれ育ったのでこれを言う権利がある。大阪というのは中国と韓国の植民地で、人間は意地汚く、美男美女もいない。大阪には本当にブスしかいない。不思議だ。当然ながら私もブスだ。たぶん美男美女は東京に行ってしまうんだろう。

帰って原神をしようとするが身体がぐったりと疲れてなかなか動けない。

身内を罵倒するのをぐっと我慢していればこんなしんどい思いをしてまで病院に行かなくて済んだのだろうが、それよりも私は他人に死ねとか殺すとかいうほうが好きなので仕方ない。そのせいで前科がついたりしたがやめようがない。この世には死んでほしい人間や殺したい人間が多すぎる。実行に移さないのはひとえに逮捕された人間がどういう扱いを受けるか知っているからである。その点死ねとか殺すとかは罰金さえ払えば言いたい放題なので、私のように人生がどうでもいい人にはおすすめかもしれない。前科がついていたとしても別に誰かに「あなたは前科持ちですね」とか言われることもないので、本当に前科がついているのかも実際のところわからない。

カナダで安楽死が流行っているらしいが非常によいことだ。この世はしんどい思いをしてまで生きる価値はない。どんどん死ぬべきだと思う。