午後3時半起床。
昨日とほぼ同じ時間に寝て起きたので、体内時計が固定されてきた気がする。
睡眠薬を飲んでもすぐ眠れるわけではないけど(身体が疲れていないから)
睡眠薬は精神的なお守りに近くて、どんなものよりも私を安心させてくれる。
起きて原神をプレイする。雷電ナショナルのパーティを組んで遊んでみてるけどまだまだ雷電が弱い。レベル上げようにも経験値本もモラも足りなくてカツカツだ。
そうしているうちに友人と一緒に映画を同時視聴する約束の時間になったので通話で話しつつアマプラで『花束みたいな恋をした』を見る。
公開されたのが3年前くらいなのに未だに話題になったりするので、そんなに教養に自信ニキたちの心に刺さるのかと思ったけど、主人公たちの好きなものも行動も何一つ私の体験と被らなくて、普通の恋愛映画ですね、と思った。
オダギリジョーがめちゃくちゃ色気があって、むしろ最後あたりはオダギリジョーの話をしてたら映画が終わってしまった。
作中では「サブカル」という言葉は使われてなかったけど、サブカルを自称する人たちの心をえぐるのってこんなんなんだ‥と拍子抜けした。
ヒロインが他人の人間性を判断する時に使う「今村夏子の『ピクニック』で感動するかどうか」というのも、そもそも今村夏子を知らなかったので、たぶん私はヒロイン的には「人間として下」扱いされてしまう側だと思う。
サブカルって、ガロとか、山田花子とか、つげ義春とか、なんかそういう人たちなんじゃないのか。小川洋子とか、デカイ賞とった作家はもうサブカルじゃなくない?(ここで、主人公たちは一貫して自分たちを「サブカル」と自称していないことが効いてくる)みたいな気持ちになり、
読んでる本を交換するシーンで、友人と「死体写真集‥」「児童ポルノ‥」とかブツブツつぶやいてた。
私達の中のサブカルって、釣崎清隆なんだ。
と思ったけど、もしかしたら私達の好きなものって、サブカルじゃなくて、昔でいう「鬼畜系」とか「アングラ」であって、「サブカル」と呼ばれる人たちには本当にこんな映画みたいなキラキラした青春があるから、大ヒットしたんじゃないか‥と思った。
そもそも、鬼畜系を好む人間に、こんな美しい恋愛の思い出などない。ないから、死体とかわざわざ金払って見るんだ‥
なんか、これ私達に関係ない映画でしたね、と話して友人との通話終了。
生理前でぼーっとする。お腹も空いたけどもう何日もお風呂入ってないし寒いしイライラするし死にたいーと思ってUber Eatsでマクドを死ぬほど買った。デカイバーガー2個にナゲットにポテト、ジュース2本。バーガー1個食べてジュース飲んだら吐きそうになった。
なんとかご飯を食べたのでお風呂に入る。
twitterでバズってた「死にたい時にNHKの自死遺族が書き込みするページを見て救われた」というつぶやきを見て、そのサイトに飛んでみる。
そもそも私は「自死遺族」という言葉が嫌いだし、その人たちのことも嫌いだ。
自殺というのは複合的な要因で起こったりするものだが、基本的に「周囲の人間からの助けが得られなかった」とか「SOSを出していたが気づかれなかったor意図的に無視された」ということが多い気がする。
その時点で自殺の原因には周囲の人間にも責任はある。特に親兄弟というような身近な人間が「そんなことするとは思わなかった」と白々しいことを言うたびに「嘘つけ。ほんとはなんとなく弱ってるとか、しんどそうというのを気づいてて、めんどくさい気持ちが強くて何も行動をしなかったんだろ」と冷めた目で見てしまう。
だから特に親が子供に死なれて「こんな親でごめんなさい」と書いているのを見るたびに、「また死んだ子供を使って自慰してるのか」とうんざりしてしまうのだ。
また、自殺を考えている人が「でも親や友達が悲しむと思うとできない」というようなことを書いているのも理解できない。
自殺というのは周囲から愛想を尽かされ、死んでいようがどうでもいいと思われた人たちの行き着く先なので、そもそも心配してくれる親や友人がいるなら、死ぬ必要はまったくない。
私みたいに親に自殺するよう提案されてからが人生の本番ですよ。
すぎるのバイオハザード実況を見る。子供の頃バイオハザードってめちゃくちゃ怖かった気がするけど、最近のバイオハザードってもうホラーじゃないよね。ということをボソボソ言っていたら10年くらい経ってしまった気がする。老害だ‥