0325 わたしのおならはくさい

cutmynail
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また以前の日記をつけてから数日経ってしまった。本当に毎日なにをしているのだか、生きているのにまったく思い出せない。たいていアニメや映画を見て、本を読んでいると眠くなって睡眠薬を飲んで寝てしまう。こんな幸せな毎日があるだろうかと天に感謝している。私は労働や他者という地獄とは無縁の世界で独りで生きている。

最近本当におならが臭くて、自分でも驚く。ひどい悪臭だ。理由はわかっていて、野菜不足なのだ。毎日レトルトのグラタン、カレー、ハヤシライス、焼きおにぎりをローテーションで食べている。サラダを買えばいいのだが、スーパーに行くといつも忘れてしまう。コンビニのサラダはおいしいけれど高い。

だから私は「これは便秘のせいだ」となかばむりやり思いこんで、昨夜コーラックを3錠飲んで寝た。すると朝6時くらいに冷や汗をかくほどお腹が痛くなって何度もトイレに行った。眠いやら寒いやら、そして痛いやらでつらかった。とにかく寝たかった。

昼過ぎまでトイレに何度も行き、だんだん腹痛がなくなって、おならもあまり出なくなった。サラダを買うために外に出たくなかったのでよかった。

私の家は完璧な立地にあり、徒歩5分圏内にスーパー2軒、コンビニが2軒、歯医者も2軒、皮膚科、耳鼻科、内科もすべてそろっている。しかし、おならが臭いほかに虫歯が悪化しているというのに、歯医者に行くことさえいやだった。外に出ることが本当につらい。しかしあまりに痛いので金曜日に予約を入れた。しかし予約を入れた途端なぜだか歯の痛みがなくなった。

ガッチマンの新作のゲーム実況「Alone in the Dark」を見て、原神をやった。しかし午前中は腹痛のせいで眠気があり、なぜこんなつらい状況でまでゲームをしているのだろうと自分が理解できなかった。そしてゲームをやめて布団に寝転がり、少し寝ようと思ったのだがなぜか眠くならず、とにかくお腹が減りだした。冷蔵庫にあるものをたらふく食べ、それでも空腹だった。

人生で肥満に苦しめられたことがあまりなかった。胃下垂なので一時的にお腹がぽっこりすることもあったが、たいてい外を歩いていると消化されてそんなに太らなかった。おととしは37kgまで痩せ、女性からは「痩せてていいね」といわれ、男性からは「もっと食べないと心配だよ」といわれた。どちらの言葉も嬉しかった。今は外に出ない上にたくさん食べるので、昔似合っていた服が全然似合わなくなり、入らないことも増えた。でも全部どうでもいいことのように思える。暗い部屋でゲームをするか映画を見て本を読んだり書いたりするだけの生活で、自分がどのような重みを持っているかなど、興味が持てない。たとえ私が120kgの巨漢であったって誰も何も言わないだろう。だってそもそも他人と会わないのだから。

「葬送のフリーレン」を最終回まで見ようと思ったが12話まで見て疲れてしまった。気分を変えるために「ぼっち・ざ・ろっく!」を3話まで見てまた疲れた。アニメを一気見する元気がない。だがよく考えるとアニメが一話20分とすると、6話まで見たら映画1本分だ。24話まで見るとなると映画を一気に数本見ているくらい画面に集中していることになるので、よく考えたら疲れるのも当たり前だ。

Amazonプライムからもうすぐ削除されてしまう「処刑人」という映画を見た。すごく面白いというわけでもなかったが、まあまあだった。どうやら海外ではカルト的人気があるらしい。「哀れなるものたち」の博士役ウィレム・デフォーの若かりし頃の演技が見れたのがよかった。

日付が変わったのであんスタを開き、毎日回している無料ガチャを引くと、なんと星5がいきなり出た。推しキャラではないけど持っていないカードだったので嬉しかった。

気分が良くなったので暗い部屋で読書灯をつけてルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』を読み進める。最近はずっとこれを読んでいる。大判の本なので読書棚をかなり圧迫しており、はやく読み終えて一階にある「読み終えた本用の棚」行きにしたいのだ。

梅田の蔦屋書店で数年前に買った本だ。岸本佐知子が人気だからか発売時かなりX(当時はTwitterだったが)で話題になり、TLでも読んでいる人が多かった。特に女性がよく読んでいた気がする。ヴァージニア・ウルフみたいなものだろうかと思って気になっていたが、蔦屋書店にたまたま行ったら平積みされていたので、珍しく定価で買った。表紙の著者が美人で、おしゃれな表紙なのだ。

梅田の蔦屋書店は本当におしゃれだ。なんと中にStarbucksが併設されており、本を買ってすぐコーヒーとともに読めたりする(たいてい若い大学生くらいがたむろっているのでそんな読書人はあまり見かけないが)。

それに万年筆や高級な筆記具や、なぜか北欧のちょっとした家具やキッチン用品まで、まるで当たり前かのように陳列されているのだ。本屋なのに。でも、それがまるで当たり前のように置かれているものだから、別に本の隣にコーヒーミルが売られていても、なにひとつ不思議な感じがしない。あの蔦屋書店のデザインをした人は才能があると思う。

私はおしゃれな本屋が嫌いだ。そもそも、本を定価で買うという事自体、人生でほとんどしたことがない。学生時代は当然お金がなかったので、古本屋で300円でトルストイの『戦争と平和』全巻を買ったりしていた。当時大好きだった石川達三や太宰治もたいてい105円で買えた。大人になっても京都にあるようなセレクトショップには行かず、浮浪者みたいなデブどもがエロ本を立ち読みしている難波のBOOKOFFで相変わらず105円で本を買っていた。男とデートに行ったときは300円のカポーティを買ってもらったりしていた。

作家にしてみれば古本屋で本を買っている私は歓迎される存在ではないだろう。しかし私は常に貧乏だった。働いていてもなぜかいつもお金がなかった。いつのまにか財布からお金が消えていた。だから作家の財布事情など正直どうでもいいのだ。とにかく安く、高尚なものを、盗むように買う。105円の『論語』、『饗宴』、『怒りの葡萄』。澁澤龍彦みたいなエラそうでいけ好かないやつの本が消費税抜きで100円で投げ売りされていたときなど絶頂しそうになる。お前のご立派なおフランス講座など100円の価値なんだよ。私は彼を辱めたような卑劣な悦びにうちふるえる。

なぜこんな話をしているのだろう。

とにかく人生で数少ない定価で買ったルシア・ベルリンの本を読んでいるのだが、最初は本当につまらなくて、やっぱり女のなかで流行る本などこんなものかと思ったが、読み進めているとなんとなく癖になってきて面白くなり、こんな時間まで読みふけってしまっていた。雰囲気でいえば、サリンジャーに近い気がする。というか、岸本佐知子が村上春樹の翻訳に影響を受けているように思える。

岸本佐知子のwikipediaを見ていたらOL時代に仕事終わりに翻訳学校に通っていたらしい。私も一時期外国語大に所属しており、翻訳の仕事をしている先生に翻訳家にはどうすればなれるか訊いてみたことがある。翻訳の学校に通うべきだと言われた。翻訳の仕事はコネというか、人脈が命なので、英語はもちろん、そこで仕事をもらえるよう大勢の人に会うべきだといわれた。私はそんな仕事は嫌だなあと思ってそれから先生に質問しに行くこともなくなり、すぐに大学も辞めた。英語は結構好きだったが、頭をぺこぺこ下げて英語を読ませてくださいと言えるほど好きとは思えなかった。どうせ貧乏ぐらしのままなら働かないほうがずっといいと思って今もそのままでいる。この考えは人としては「間違っている」のだろうが、私個人の感覚では「正しい」ので、まあいつか人生はどうにもならなくなって死ぬしかないという状況になっても、自分の責任だと諦めるしかない。実際働いていない今が一番健康的なのだし。生きるために働かなければならないなら人生なんてないほうがいい。