0206「ソルトバーン」を観た・読書の状況

cutmynail
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起床時間忘却。たぶん午前中に起きたと思う。

ここのところ15時すぎに起きる日々が続いていたので、いやだなあと思う。15時まで眠れたらその日は成功という気がするし、それより早く起きてしまったら終日疲労したままのような気持ちになるからだ。

あと一週間もしないうちに生理が来るので(ピルを飲んでいるとそういうことが逆算できる)眠気もあるし、関東は大雪になるほど真冬の底冷えのためにぼーっとする。

原神の海灯祭がはじまったのでイベントを消化しつつ、タルタリヤに持たせる武器を入手できたのでタルタリヤとジンの育成に注力しようかなあと思っていると、友人から「4時に寝ますが、その前に映画を観ませんか」といわれた。

私から「ソルトバーンという映画が評判いいらしいので同時視聴しよう」と以前に言っていたので、じゃ2時に集合しようと言って、その間に原神のデイリーをこなしてご飯を食べて読書くらいできるかな、と思っていたが、ゲームの電源を落としてカレーを食べていたらすぐ2時になってしまった。

いつもどおりボイスチャットしながら「ソルトバーン」鑑賞。富裕層の白人男性同士の恋愛・夏休みのあいだだけの短い恋・欧米の美しい自然や建築物の映し方など、かなり「君の名前で僕を呼んで」を意識してるんじゃないかと思ったが、オチは全然違って、私はこういう人の心がない人間が不器用に他人を愛する(しかし人の心がないゆえにその愛は常に相手を傷つけるだけ)描写が大好きで、「うわーこれって今まで読んできたBL同人誌のおさらいじゃね!?」みたいなことを叫びながら盛り上がってしまった。好きな人を殺しておいて、その人のお墓の前で裸になって自慰するの、死ネタありBLすぎるだろ。

友人と通話を切って、うわーいいものをみた、私も執筆したい、「ぼくのかんがえたさいきょうのあいじょう」を世間に吐き出したい、と思い、新しい描写の仕方を学べるかと思って山尾悠子『ラピスラズリ』を手に取った。

何年も前に20ページくらい読んで、しおりが挟まっていたが改めて最初から読み直す。『エルサレムのアイヒマン』と交互で読んでいるので、幻想小説の文体に慣れない。「日本語だから読めるけど理解ができない」といった感じがする。描写が人物の動作や会話でなく、人物の感情そのものが現実と溶け合って、曖昧模糊な夢をそのまま文章にしているような・・なんというか、忘れないように起きてすぐ書きなぐった夢日記を読まされているような気分だ。

そういうのをどうやって楽しめばいいのかいまいちわからなくて、泉鏡花や稲垣足穂が十数年も本棚でホコリをかぶっている。

けれど、私が表現したいものの一部は、こういった幻想文学的な描き方で表現できるのではないかと思っていて、雪をこういう風に描写するのか、とか光の描写にもこういうのがあるのか、とかいろいろ考えていると、だんだん胸のあたりがつまってくるように苦しくなって、文字通り「胃が痛く」なってきた。

私は純粋に自分の頭の中のものを取り出したいだけなのに、どうしてこんな「お勉強」みたいな小説の読み方しかできないんだろう?こうやって日記はばかみたいにいくらでも書けるんだからかっこつけずにそのまま書けばいいのに。みんなそうやって作品を完成させるまでにこぎつけているんだ。いつまでも文章にあれこれ言って、大切なのは内容なんじゃないのか?

クエチアピンを飲む。こんなに苦しいのはきっとPMSのせいだ。もう寝よう。