(生理前でイライラが最高潮です。)
私は158cm,昔は、38kgまで痩せてた。
最高で(最低で?)36kg.何も食べなくてもお腹が空かなかった。
でも筋肉があるわけじゃないから、45kgくらいに戻って減って、その繰り返しだった。
38kgのときは何もかもが楽しかった。
アパレルショップにふらりと寄っただけで、「働いてみない?」と言われた。
突然顔が橋本環奈になったわけでもないのに、周りからの扱いは違った。
昨日、ジムで体重を測ったら、59kgあった。
人生で初めて50kg後半の数字を見て、めまいがして、気が遠くなった。
自分というものが、突然豚みたいに卑しい家畜になったような気持ちだった。
痩せてた頃にはたくさん洋服を買った。でも、ヨージやマルジェラはオフィスに着ていけないから、仕方なくGUでオフィスカジュアルな服も買った。それすら、今は履けない。自分が、自分という存在が消えてしまったみたいな気がした。代わりに、脂肪が歩いて寝てるようだ。
私はなんにも一番になれなかった。
最初は勉強。親族で一番、クラスで一番、小学校で一番。私は一番エライ人間だと思っていた。けれど、進学塾に入って学区内の、灘や東大寺を目指すような秀才たちと席を並べると、なんてことはない、私はただ覚えるのが早いだけで、自分で頭を使っているわけではないことがわかった。公式を覚えることはできても、なぜその公式を使うのか理解できなかった。
「タヌキ」というあだ名の講師が、私の机にテスト用紙を投げ捨て、「おまえは算数のない学校へ行け!」と言った。
当然だが、私立中学校の試験科目に算数がないところなんてない。つまり講師は、「おまえ辞めちまえ!」と言いたかったのだろう。
それで私は、小学校の帰り、校門前の歩道から道路に飛び出した。大型トラックがギリギリのところで止まった。
誰も助けに来なかった。
私は自分がまだ死んでいないことを確認すると、無言のまま立ち上がって家に帰った。私が死ぬことなんて、他の人からすれば、どうでもいいことなんだと理解した。11歳だった。
次に一番になれなかったのは、美貌。
母は若い頃、キムタクと結婚する前くらいの工藤静香に似ていて、父は東南系のでっぷり太ったハゲ。でも二人ともくっくり幅広の二重だ。なのに私だけ重い奥二重で、毎日アイプチをしないと外に出られなかった。
子供の頃は、いとこの女の子から、かわいいね、私なんか、とよく愚痴を聞かされた。私はそんなことないよ、と言いながら鼻高々だった。
でも、kpopブームがやってきた。大きな目、高い鼻、長い脚の女性たちがテレビ画面を占領した。醜形恐怖症は高校生の時にピークに達して、私はブスだから死なないといけないと思って、友だちの母親から梅酒を数リットルもらい、睡眠薬を飲んだ。でも死ねなかった。私は私立中を中退して、公立の進学校に通った。偏差値70を超えていて、ガリ勉ばかりだろうと思っていたが、彫刻みたいな美人がクラスに二、三人いた。私は完全に何もかも負けていた。
勉強、美しさ。それで負けたら、女は何で誰と戦う?それは誰でもできること。流行りの少女時代みたいな贅肉のない脚、くびれのある腰。私はこれしかない、と思った。痩せることだけは、自分の努力でできることだから。
高校の時はまだ母が同居していて、ご飯を作ってくれていたが、母親がダイエット食なんか作ってくれるわけがない。私も本気でダイエットに取り組まなかった。運動音痴で、マラソンの時はいつもビリで大恥をかいた。
そして働き始めてから、私は会社で、「若さ」という強さを手に入れた。当然だ。周りは経産婦やそれ以上ばかり、私は高校を出たての18歳。その代わり、私は仕事になんの情熱もなかった。いずれ小説家になるのだから、こんなのは腰かけ程度だと思っていた。
そういう態度でいると、女社会では「罪人」扱いだ。若いだけでオジサンからチヤホヤされ、舐めた態度で、やる気もない。そんな若い女は、女社会から排除された。私が配属された場所のトップは、子どもを産んでいない女だった。
子どもを産んでいない老いた女の恐ろしさは、言葉にできない。鬼と同じだ。私はそこで完全に精神が狂って、病院に入院させられた。
私は36kgになっていた。女子高生のときにこうだったらよかったのに、と思った。入院の手続きに久々に母親が顔を出してきて、「ガイコツみたい」と言って笑った。絶対にこの女が死んだら、遺体を足で踏み潰してやろうと思った。
そこから先の記憶は曖昧だ。私はずっと薬を飲んでいて、インターネットの友達と遊んだり、遊ばなかったり、また自殺未遂したり、しなかったり、働いたり、働かなかったりして、そしたらいつの間にか、障害者になっていた。
一番になれない理由が、四半世紀生きて、ようやくわかった。障害者は、天才になったり、美人モデルになったりする夢を持ったりしても、意味がなかったのだ。
障害者は慎ましく、年金暮らしをして、別に着飾ることもしないで、スーパーのお惣菜の割引セール時間を待つ生活をすればよかったんだ。
最初からそういう人生だと誰か教えてくれたら、最初から何も頑張らなかった。
でも、私は最近ジムに通いだした。豚から人間に戻りたい。今私がどれだけすごいことをしても、やっぱり豚がしたことだ。豚と人間にはおおきな違いがある。それは男にとって無職と大企業の社長くらいの差。女にとっての20kg。
私は豚だ。何をしても豚だ。