年が明けて2024年になった。
27クラブを過ぎ、天才でない私は、きっと死ぬ勇気をこれから持てることもなく、30歳を超えても生きていくだろう。
去年は感情をコントロールできず、地獄のような苦しみ、(それは人生に差す一線の闇である‥光がないのに闇だけがある。)
そしてそこから抜け出すための安易な薬物摂取で、廃人のようになった。特に年末にオピオイドを飲んで非常に苦しんでから、薬を警戒するようになった。
また、恋愛という、ただ疲労し不快感のみが後味悪く残る行為をようやくやめる決心ができた。(男嫌いという性質が色濃く残った。そして私はどちらかといえばレズビアンの指向があるのだということにも気づいた。)
私は夏に会社を辞めてから働くこともせず、あくる日もあくる日もゲームに没頭し、運動を怠った結果、家の玄関に辿りつく筋力さえも失った。
私の将来をいくばくか不安視し、いつもとんちんかんなアドバイスを送ってきた両親もついに私を見放し、連絡をとることもなくなった。
私もようやく精神的に両親を頼ることが難しいと感じてきた。
両親を憎んでいるのに、両親の金銭的・身体的な助けがなければ、病院に行くことすらままならないのだから。
この矛盾は日に日に大きくなり、母を侮辱したその舌の音が乾かぬうちに、自分の代わりに病院に行き睡眠薬を取りに行くよう指示する、というような、自分でも呆れるような行為をしなければ生きていけなくなっていた。
そして母は私の侮辱に耐えられずとうとう逃げていった。私はすべて自分でやり直さなければならなくなった。
このままどうやって生きよう?と思っていたとき、魔女のゲームに出会った。
TheCosmicWheelSisterhood
そこで、魔女という存在が、そういえば現代の日本にも少なからず存在していることを思い出した。
彼女らは執筆や、食堂の経営、薬草で軟膏を作ったり、占いで生計を立てていることもなんとなく知っていた。
インターネットを頼り、魔女について調べてみたところ、
「魔女は群れない。しかしコヴンという十数人単位の仲間でグループを作り、年に数回宴を開く」
群れないが、仲間がいる‥
なんて素晴らしいんだろう!
人間嫌いなのに寂しがりな私にぴったりではないか?
「できるだけ毎日樹木のもとで瞑想をする。毎日出かけるのが厳しければ、想像上の樹木でもよい」
引きこもっていると必然的にSNS中毒になり、偏った思想や口汚い人々にうんざりし、だんだん緊縮していった心に、瞑想はよい気がする。
そしてなにより、私を幼少期から苦しめてきた、鬱という病を、薬物療法以外でのアプローチで治療したいと思うようになった。
病院のカウンセリングは常に満員で、予約を取ることさえ不可能な今、
自分自身で治療するという気持ちを持たねばならない。
そして薬草の知識を身につければ、なにかしらの仕事ができるかもしれない。
小説家として食べていく自信がないなら、なにか専門的な知識を持つことが必要である。
生活していく糧がほとんど稼げなくても構わない。
毎日布団から起き、「今日は何をしよう?何のために生きれば良いのか?」と考える朝を迎えることに、疲れてしまった。
まだ働くことは怖い。
外に出るのも怖いし、人と話すのも怖い。
でもそれは、自分が何者でもなく、そして他者より劣っているという思い込みからくる後ろめたさ、差別される恐怖にちがいなかった。
私は自分を誇りに思いたい。
それが「魔女になる」という、一見意味の分からないものであっても、そこで何かしらの活動ができれば、他人への劣等感に苛まれることも、少なくなるだろうと思う。