ここ2日間ちょっと時間の都合でエアロバイクをサボってる。(サボり始めたら体重減り始めた。ほんとになんでですか?)サボりと聞けばいつも話す、私の定番の話がある。話しすぎて私の周りの人はこいつまた言ってるよって思っているだろう。思っているどころか誰かに直接、何回話してんねんと言われたような気もする。でもあんまり覚えてないからまた話すよ。すまんね。と、言っても別に面白い話でもないしそこまで示唆に富んでいるわけでもないが
サボりの話で出てくるのはほとんどが授業に関する話だろう。大学の講義をサボりすぎて単位がやばい。授業サボったことなんてないよ。サボってこんな遊びしたなあ。など、こんな感じが平均的人間の口から出る言葉だろう。まあ私の口から出る言葉も同じだ。(自認は人間ではないが、平均は自認している)私も適度に授業に出て適度にサボってる。ただまあ高校生まではサボるなんて思いもしなかったが。病気以外休まず皆勤賞中学生だった私は高校生も半ばに差し掛かったところでこう思った。いやこのままいったら私は一生サボれないかも、と。サボらない自分は目指すべきところだが、サボれない自分は避けたかった。サボらずに限界を超えて頑張る未来は避けたいと、そう思った。そこで私は意識的にサボって自分の中のサボり許容量を増やすことにした。高校3年の体育は結構サボった気がする。部室に行くとサボり許容量が無限の先輩がいたためかなり楽しくて良かった。こうして高校でサボり許容量を増やした私はサボりに対して抵抗がなくなり、無事サボれるようになった。
まあ問題は、私のサボり許容量が一度サボっただけで天元突破してしまったことだろうか。大学1年生の授業はサボりすぎて単位がやばかった。大学の講義をサボりすぎて単位がやばい。
これは良い曲