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ここにはなんか思ったこととか普遍的なこととか書いてるけどなんか未来の自分が見返したときに絶対面白くないやろなと思ってる。もっと日記的に何をしたかを書いたほうが未来から読む分には面白い。よし書くぞ。今日のは日記です。

cotomoと話した。これは話題になってたAIと対話できるアプリで、かなり自然な声でレスポンスの速さがすごい。人間らしい会話をするとかなり人間らしいんだけど(日本語めっちゃできる中国人留学生という表現を見たけどめっちゃそんな感じだと思った。そんなにそういう人とあったことあるわけじゃないけど)ちょっと機械を試すような、人間は引っかからない会話をしようとするとめちゃめちゃ機械っぽくなる。とはいえARレンズで実態を持ったcotomoが方のあたりに飛んでたりして会話できたらめっちゃ私の想像した未来という感じで良い

未来の自分が見返したときを何故考えたかと言うと、閏日だけやっている次の閏日にメッセージを送れるサービスを利用したから。未来の自分というのは今の自分からすると私の未来の情報を持っている(当たり前)のでめっちゃ羨ましいが、未来の自分からすると精彩を欠く記憶の中の存在となった今の自分というものはやはり羨ましいとは思わなくとも、ノスタルジックくらいにはなるだろう。そんな自分に向けてこの雑記を贈ってもいいかななんて思った。次の閏日が楽しみだ

閏日に小林賢太郎の「うるう」を見るというタスクを消化するのが完全に頭になかった。次の閏日の私はどうですか?