母親にしっかりと抱き締められたのは、これで二度目だった。
一度目は母が過労で倒れ、退院してから久しぶりに家に帰って来た時。小学校一年生の時分だったため、正確には覚えていないのだが、随分長い間母はいなかった気がする。入院先も知らされなかったためお見舞いにも行けなかった。いまだにその話を母がすることもない。というか誰もしない。不思議な失踪だった。
そして二度目の抱擁は。
突然、母が車庫の片付けを始めた。誰のか分からないサーフボードとゴルフセットを引き摺りながら出して言った。あの人が今日の夜、見に来るって。
あの人とは、四年前に離婚した義父のこと。忽然と消えた義父が家に来る。そう伝えられた瞬間、戸惑いと嬉しさが込み上げてきた。会いたい?と母に聞かれたが答えに窮した。本当に分からなかったから。それでも、途端に鼻の奥がツンとし、目頭が熱を持つ。父に久しぶりに会いたくもあり、来年に就職を控えている大人になった自分を見せたくもあった。だが現在、実の父親と仲良くしている手前、気まずい気持ちもあった。実父を裏切ってしまうような忸怩とした気持ちが。
年の離れた兄と姉とは違い、私の場合は血の繋がった実の父親よりも、人生の大半を共に過ごしたのは義父だった。だが義父と母が離婚してから、嫌なことが浮き彫りになっていった。母があの人は高圧的な人だった、とかモラハラ的なところがあった、と私に、そして自分自身に言い聞かせるからだ。だけど、ふと思い返すと義父と過ごした日々は楽しいことの方が多かった気がする。運動会に来てくれたのも、お祭りに一緒に参加してくれたのも、ドライブも、卒業後も、全て義父だった。私の家族との思い出のほとんどに義父がいた。
そう思うと義父に会いたい気持ちが強くなった。それでも何も言えなくて、言葉に詰まり、ただ嗚咽を漏らしているとそっと母が私の背中に腕を回した。抱き寄せられ、歳をとって柔らかくなった身体と細い腕が私を囲った。背中を摩られて、安心感にかさらに嗚咽が止まらなかった。
ママが全部悪いの、そう震えた調子で言う母は随分とズルい女だな、と鼻を啜りながら思っていた。そう言われてしまえば、責める矛先が途端に失われる。でも別に母を恨んじゃいない。女なんてそういうものだろうし。
親の人生の選択によって、子供が割りを食ったりするのは仕方のないことなのだと大人になった今思う。私の人生があるように、母の人生があることだって当たり前なのだから。子供が生まれれば好きに生きちゃいけないなんてことはない。ただそれ相応の責任が伴うことは忘れてはいけないのだろう。
そうつらつらと考えていても、結局義父に会いたいか、会いたくないかの答えは出なかった。しかし、これを綴っている今、この瞬間も自然と視界が滲んでしまうほど、それは強烈な出来事だった。最近は本当に涙脆くなって困る。
結局、その日義父が家に来ることはなかった。仕事が忙しかったのだろう。もしくは……。
それでもいつかは会えると信じて。