これはもう癖なのかもしれない

ばく
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しずかなインターネットを始めて5日が経過した。

これまで毎日15分ずつ、計4本の記事を上げてきた。

特に意味のない、日々の思ったことを綴っただけの備忘録のようなものだが、それでもダッシュボードを見ると誰かしらが訪れて読んでいるのがわかる。

不思議なもので、そういった数字に惑わされるのに疲れてここに来たはいいものの、やはり誰か見ている人はいるのか、というものは気になってしまうようだ。

昨日時点で滞在時間が合計20分だったのが、今日になると2分になっていた。

数字で言うなら1/10だ。

これの計算方法もまたわからない(そもそも合計とはどういうことなのだろう? 普通は平均の気もするが)


当初は誰に読ませるつもりでもないものとして書いていたが、それでもインターネットという公共に場に出す以上、人の目というものは気になってしまうのかもしれない。

誹謗中傷や犯罪予告じみた何かを書くつもりは毛頭ないが、昨今の言論に関する炎上具合を見ていると、いつなんどき、何が誰の逆鱗に触れるのかわからないというのもある。

もちろん、そんなことをいちいち気にしていたら何も言えなくなってしまうので、ほどほどに、最低限のことを意識していればよいと思うのだが(この最低限がまた人によって変わってくるから難しいものだ)


言論といえば、SNSというものは面白くも厄介なもので、日々様々な意見が飛び交っている。

中には建設的なものもあるが、大半が願望の濃いものなので、そもそも議論するに値しないものも多い。

そういった話は見ていて楽しいときもあれば、しんどくなるときもあるので、意識的に情報をシャットアウトしていかないと勝手に読んで勝手に疲れてしまう。


一時期、義務教育に反対する意見がたくさん流れてきたことがある。

いじめの問題だったり、個性の問題だったりと、さまざまあったが、基本的に現在の義務教育制度に反対する声が多かった。

今の義務教育が十分なものとは思えないが、一方で、流れてくる意見にも頷き兼ねる部分が多く、なんとなく鬱屈した気分になったのを覚えている。

漢字不要論も、文系科目不要論も、漢字の中でも書き順は要らないという意見も、言いたいことはわかるような気もする。

だが、一方で言っているのは「習った後」の人間であることも否めない。

漢字の書き順なんて好きに書いていい、と言っているのは、もう漢字を正しく書ける人間であって、これから習う人間ではないのだ。

漢字の書き順を覚える、というのは、漢字の形を覚えるということだと思う。

文字の形を覚えなければ、文章を読むことも書くことも、おそらくできない。

くずし字を読んでいるとつくづくそう思うことが多い。