友達のキャンディッドフォトを撮るのは難しい

ddd
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最近覚えた言葉「キャンディッドフォト」。

キャンディッド(candid)とは「率直な」とか「ありのままの」という意味らしい。このキャンディッドフォトの始まりはザロモンというおじさん。

「ザロモンは1924年に発売された小型カメラのエルマノックスを使い、法廷での裁判の場面や、ドイツで開催されていた国際会議で参加者たちが見せる自然な姿を、スナップショットの手法で撮影」https://artscape.jp/artword/index.php/キャンディッド・フォトより引用

撮影したことが気づかれていない、自然な、ありのままの、素直な写真。友達を撮るときにそういう写真が撮りたいなと思う。

友達にカメラを向けると、当然みんな目線をくれたりポーズをとったりしてくれる。めっちゃ嬉しい。撮れる写真もいい。それにプラスして、そうじゃない写真……カメラ目線ではない、ちょっと離れたところから撮った写真も増やしていきたい。

そういった写真は、カメラの腕がないと撮るのが難しい気がする。被写体との距離やタイミングに気をつかう必要があるから。

とここまで考えて、そもそも友達にカメラを向けるのって多かれ少なかれストレスを与えてるんだろうなーとも思った。

実は最近読んで良かった本で、カメラを向けるストレスについてハッキリ言ってくれていた箇所があった。読んでいて目が覚める思いだった。以下、引用。

「みなさんがカメラを向けるほとんどの被写体も、写真を撮られたくはないってことを意識しましょう。」

「自分のために撮る人は、自分がストレスを感じない撮影をして被写体にストレスを与えます。被写体のためなら被写体にストレスを与えないようにして、自分がストレスを引き受けます。」

「関係性が近くなればなるほど遠慮が失われます。それから部下や後輩など遠慮がなくなる相手ほど敬意も失われます。」

「あなたが写真を撮りたいと思う被写体ほど遠慮がなくなりやすい相手です。写真を撮りたいと思う相手ほど敬意を払いましょう。写真だけの話じゃなくて、日常生活から敬意を払いましょう。」

幡野広志『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』より引用

(この本は本当に読んでよかった。この節以外にもいいことがたくさんかいてある。)

そういえば、同僚4, 5人で飲み会をしてるとつい写真を撮ってしまうなと思い出す。

基本的に親しい(と自分は思っている)人たちが楽しそうにしているのを見ると、なぜかつい記録に残したくなってスマホで撮ってしまう。そこに何のひっかかりもないから、今の状態はきっとよくない。

またとりとめがない文章になってしまった。2024年は被写体との距離をちゃんと考える年にしたいと思います。物理的にも心理的にも。

@ddd
音声入力を使いながら、ふと思い立ったことを書いてみます。