読めるモンがないとしょうもねえな。ある程度歳を食った人間は。どんなに劣悪なことを露呈してたって、俺にとっちゃ、あの片田舎でカラクリ造って、その傍ら DV まがいのことをしてた50代のおっちゃんも、彼のブログに書き残すところの、連綿と紡いだ言の葉の連関からして、詰め込まれた〈事実〉からして、なんか〈違うな〉と〈感染〉するものが確かにあった。
〈事実〉ねえ。〈手触り〉か。数年前の俺がほしかったもの。掴んだはずのもの。60年を選び取った、大学生の俺からの贈答品だったはずのもの。環境。環境ねえ。環境かあ。
19の俺が出会った彼等(あいつら)は、バイラルの楽局面こそあれ、区画/枠/境遇/気流/クラス/構造から、しんどさを見出して、這い出そうとする、そこに居たくねえと思った日に、それがそう簡単には好転しない居所のはずで。その確からしさ、相対的な居座りは、一歩引けばそりゃまあいいんだけどさ。
環境ねえ。渦中はいつだってしんどいんだろうよ。掛けたら倍になる大きい N を抱えて、一旦はそこで払い出さずにキャリーして、メタモルフォーゼすることを選び取ったんだとして、そら上手いこと狙い通りに武器を手中に収めて、拡張スロットに装填できたら、そこでイチ抜けなんかもしれんけどさ。それも残機あるうちにやるべきことな訳で。モメンタム燃えてるうちに走り抜けなきゃならん訳で。そのてめえの後生大事に誇らしい、包み紙にくるまれた一橋卒には寿命がある訳で。
おっさんになるまで居るんすか?このジョブに。3年経っても甘んじるんすか?この処遇に。何が出来たんすか?この1年で。もうやめたんすか?頑張んの。ダサくても這い上がんの辞めたんすか?
明日もやるんすか?それ。