無題

dddaiki
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すげーもんを読んで、その〈世界〉を見せつけられて、─ 自分に綴れる範疇でものを描いてるだけ。

─ いいや、その空っぽの袋小路からはとうに抜け出て、自分が確からしく〈浸かった〉局面をありありとしつこく描いて、其れを〈ケ〉に戻った / 熱情の引き去ってしまった終わりなき〈日常〉においても、背骨としようと思ったんだ。そんで〈60年〉は、ただ〈継続できそうな拠点〉ではなくて、その〈浸かれる〉局面を、引き込めるような場所でなきゃ、と。でなきゃ毎朝「色々あるけどまあ、うん、行くか」と思えんやろうが、って。そうでなかったら、の仮定の先をどうにも頭ん中で再現できなくって、そうした。

そら選んだ経緯(いきさつ)は、トライの数はしょうもなくて、消去しながら、妥協もしながら、でもまあ文句ないだろ。てめえへの期待値と身の丈とのバランスが、ダボダボの中学生の制服みてえな状態で入って、大学生の界隈でやってたハッタリを披露したところで全く通用せずに、化けの皮どころか完全にボコボコに潰され切って。「これでよかった。100パーやり切ったわ。安眠できる。完ペキやった今週」とか思えたことなど一回もない。が、まだ、居れる。なら、まだ、やる。─ へっぴりがよ。もう一個言えよと思うけど、それ以上を言ったら、その重みで簡単に潰れてしまう位には、色々が、きている。

野球部に居た頃と同じ位、出た芽がことごとく潰れていくし、期待されたタイミングで裏切ってる。数学はじめとしてクソ程にできなくて、威張れる光ったもんもなく、なんの長所も誇れなかった高一高二の生活に似ている。何をいま、今になって張り切ったとて、いやまあ何も形にならんという予言の自己成就が、そんときとホントに重なる位にちらついてる。日々が細切れになってて、外側も枯れてて、正解っぽいものを取り入れるけど、積み上がらないまま剥がれ落ちていってる。

てめえの自我などスパイラルでさあね。お叱りを避けてお褒めをもらって歩いていれば、浮遊しながらゆっくり上昇していけていたかもしれないが。落ち始めれば、というか現に落ち目なら、取り巻きすべてが係留して、その〈落ち目〉とやらを漠然と、─ 薄くて脱げない膜を覆い被せるようにして、そう易々と弾き返せない筆圧の濃い〈矢印〉として ─ 自己成就的に構成してくる。そこへの処方箋として、俺の乏しい経験則の範疇で用意できる選択肢は、「それでもそのなかで特異な何かを以て淡く逆転を夢想する」か、「ポンと辞めちまう」かの2つしかなくって。そのうち確からしく成功したことがあるのは、後者だけで。だから後者をそう選ぼうと思えてねえうちは、それはそれとして頑張るポーズは続けるし、それすら放り出してしまう程落ちぶれちゃいないが、上手くいく気もしないというのが、今の正直な所。

@dddaiki
文系卒 iOS エンジニア。 真空ジェシカのライブによく居る。