最後のトマト

倉田タカシ
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 きょう、今年度最後のミニトマトを食べました。妻がベランダから回収してテーブルのうえにしばらく置かれていた一粒を、食べるつもりで台所へもってきてまた忘れていたのを、ようやく思い出したのでした。採ったあとで長くほったらかしにしていたけれど、痛んでいなくてよかった。ベランダの鉢のほうは、数日前に枝を刈り取ってすっかり片づけてしまいました。青い実がまだたくさんついていてもったいないと思ったけれど、さすがに寒くなってきて、これがぜんぶ赤く熟すとは思えないし、ヒヨドリのフンでベランダが汚れるのも困る、ということで。そうして今日、最後のひとつを口に入れたら、ヒヨドリもこれを食べたのだなあ、という思いがおこり、鳥とおなじものを食べている、食べ物を分かち合っているという感覚を、ひょっとすると生まれて初めて味わいました。

 来年もあのヒヨドリがミニトマトを狙ってきたら困るなあ、ネットや鳥よけを用意する必要があるだろうか、と心配になる反面、汚されなければ食べさせてもよかったけれどままならないものであるなあ、というか人間は身勝手なものであるなあ、とも。庭などに餌箱をおいて野鳥があつまるのを眺めるのにちょっと憧れがあったのですが、あれは下が土でないとなかなか大変であるということを今さらながら学んだのでした。しかしいつか庭を持ったらぜひやりたい。