タクシー

倉田タカシ
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公開:2024/9/4

 あ、いま夏季限定のサービスでね、怪談をお話しすることになってるんですよ、と、うきうきと話し始める運転手さん

 その怪談が、ぜんぜん怖くなくて、びっくり

 ところが、運転手さんのほうは自分の語った内容に震え上がってしまい、このサービス、本当はやりたくないんです……と沈んだ声で

 ところで、ぜんぜん知らない道を走っているように見えるんですけど、大丈夫ですか? 最寄り駅から自宅に向かっているはずですが……

 運転手さんはプロフェッショナルの声に戻り、それは大丈夫ですよ、この相棒が道をちゃんと覚えてますから、と助手席を指さし

 助手席には鶏卵の10個パックが置かれていて、すべてのくぼみに一羽ずつ生まれたてのひよこがおさまり、ゆっくりと首をめぐらせて虚空を見つめている

 スーパーで買ってきた卵が孵ったのですか……10個すべて?

 そうです。ですから、この車は大丈夫です

 乗客のほうの大丈夫は保証されていないのでは?

 それはやはり、自分の卵を孵していただかないと……

 そのとき、ひよこの一羽が重々しく口をひらき、

 「ルートを外れています。」

 運転手は重々しく頷いて、では、つぎの怖い話を……

 これはわたしの知り合いが経験したことなんですけどね、夜道で拾った客が、息をしていなかったそうなんですよ。息してないじゃないですか、と指摘したら、きょうはしなくていい日だから、って客がいったらしいんですね。そんな日あるんだ、と知り合いも驚いて、行き先をたずねるのを忘れたまま発進しちゃったんですよ。それはもう怖かったそうです。タクシーの運転手にとって、行き先がわからないまま走り出すのは、目隠しをして、裸足で、レゴのピースが一面に散らばった床を走るようなものですからね。それでわたしもね、その知り合いに、自分の体験を話してあげたんです。あるときに、夜遅く、近所のマンションに用事があって行ったんですけどね、それが古い建物で、玄関からしてなんだか薄暗くて、気味の悪いところなんですよ。ちょっと怖いなあと思いながらエレベーターに乗ろうとして、凍りついてしまいました。扉が開いたら、エレベーターの奥の壁に、大きな張り紙があったんですよ。ほとんど壁一面の大きさで、そこに真っ赤な大きい字で、「エレベーター内での放屁を禁ずる」って、書いてあったんです。うわっ……こわっ……て思いました。……あ、着いたみたいですね。ひよこたちが、ここだここだと言ってます。