あ、いま夏季限定のサービスでね、怪談をお話しすることになってるんですよ、と、うきうきと話し始める運転手さん
その怪談が、ぜんぜん怖くなくて、びっくり
ところが、運転手さんのほうは自分の語った内容に震え上がってしまい、このサービス、本当はやりたくないんです……と沈んだ声で
ところで、ぜんぜん知らない道を走っているように見えるんですけど、大丈夫ですか? 最寄り駅から自宅に向かっているはずですが……
運転手さんはプロフェッショナルの声に戻り、それは大丈夫ですよ、この相棒が道をちゃんと覚えてますから、と助手席を指さし
助手席には鶏卵の10個パックが置かれていて、すべてのくぼみに一羽ずつ生まれたてのひよこがおさまり、ゆっくりと首をめぐらせて虚空を見つめている
スーパーで買ってきた卵が孵ったのですか……10個すべて?
そうです。ですから、この車は大丈夫です
乗客のほうの大丈夫は保証されていないのでは?
それはやはり、自分の卵を孵していただかないと……
そのとき、ひよこの一羽が重々しく口をひらき、
「ルートを外れています。」
運転手は重々しく頷いて、では、つぎの怖い話を……
これはわたしの知り合いが経験したことなんですけどね、夜道で拾った客が、息をしていなかったそうなんですよ。息してないじゃないですか、と指摘したら、きょうはしなくていい日だから、って客がいったらしいんですね。そんな日あるんだ、と知り合いも驚いて、行き先をたずねるのを忘れたまま発進しちゃったんですよ。それはもう怖かったそうです。タクシーの運転手にとって、行き先がわからないまま走り出すのは、目隠しをして、裸足で、レゴのピースが一面に散らばった床を走るようなものですからね。それでわたしもね、その知り合いに、自分の体験を話してあげたんです。あるときに、夜遅く、近所のマンションに用事があって行ったんですけどね、それが古い建物で、玄関からしてなんだか薄暗くて、気味の悪いところなんですよ。ちょっと怖いなあと思いながらエレベーターに乗ろうとして、凍りついてしまいました。扉が開いたら、エレベーターの奥の壁に、大きな張り紙があったんですよ。ほとんど壁一面の大きさで、そこに真っ赤な大きい字で、「エレベーター内での放屁を禁ずる」って、書いてあったんです。うわっ……こわっ……て思いました。……あ、着いたみたいですね。ひよこたちが、ここだここだと言ってます。