この前、ユメ小説の歴史をぼんやりと眺めていまして。発祥は諸説あるらしいんですが、2000年代初頭にドリームメーカーができて、そこから、笛!とか🎾で爆発的に広まった……ってなってまして。あー私が見ていたあの頃、実は生まれたばかりのものだったんか……となりました、ね……。小説開くとJavaScriptで名前入力してたなあ。とか懐かしく思いつつ。
で、どうやら私は黎明期の🎾夢を嗜んでいたっぽいんですけど、あの頃、🎾と同時にSDを扱っているサイトさんも多かったんですよね。で、あったら読むじゃないですか。
でもあの当時、(私の探し方が悪かったのか)、全然、rkw夢なくて!
湘i北だとmti、あとfjm・snd・mk……みたいな、もうほぼこの四人しかなくて、たまにサーチでrkwって書いてあるところにお邪魔するとちょろっと短編一本置いてある、とかそんな感じの印象で。
全然rkwないやんけーとSD夢にはハマれず(当時まだ自分で書こうという発想はなかった)。🎾にずぶずぶハマっていくわけですが。
でも今、なんかすごいrkw夢って恵まれてて、素敵な書き手さんがいっぱいいて、溢れている……!もうこれは当時を思うと本当に幸せなことだなあと感じているんですけど、ではなぜあの当時rkwkedは流行っていなかったのか。あんなに格好いいのに!!!!ということを延々と考えていたわけです(前置きが長い)。
で、ひとつの仮定に辿り着いたんですけど。
rkwって、原作読んでる限り、高校卒業したあたりか途中なのかわからないですが、絶対アメリカ行く流れじゃないですか。
あの当時、アメリカ行ったらもう永遠の別れ、みたいな感じがあったなあと。だってまだひとり1台PC持ってるか!?っていう時代で(しかも馬鹿でかいデスクトップ主流)、当然スマホもないし、携帯すら持ってるか持ってないか怪しいし、国際電話なんてばか高いし、メールだって頻繁にできず連絡といったらエアメールでしょ、みたいな時代ですよ。ぜっっったい筆マメじゃないバスケだけしに行くバスケの鬼がアメリカ行っちゃったら……もう数年……下手したら10年単位で音信不通になっちゃう。そんな状態で恋愛関係続くのか?将来性ないやん!って感じで。アメリカに旅立つrkwと別れる話とか、アメリカ行っちゃうけどずっと好きだよとか、アメリカ行っても忘れないでねとか、逆にアメリカ行く前の高校時代の刹那的な話とか、もうそのくらいしか無くて。なんか……rkw=悲恋、みたいな夢ばっかり見かけてしまい……、それでrkwは流行らなかったのではないかな、と……。勝手に思っています。
自分が今よりだいぶ若かったこともあって、アメリカってほんと遠い存在だと思っていたので、渡米したあとのrkwと続く恋、なんて想像もしてなかったなあ……。
あと日本人選手でアメリカで、しかもN・B・Aでほんとに成功すんのか?みたいな時代でしたもんね……。
そう考えると、令和の時代にSDが映画化されて、ほんと幸せだったなあと思います。
私はわりと原作の時間軸に合わせて書くタイプなので、携帯とかもあんまり出さないんですけど、それでもこれだけ希望が持てる未来を想像できるようになったのは、今だからこそだよなあと。
なんて、いやいや当時からrkw夢いっぱいあったし!ってことだったらすみません。私の探し方が甘かった……。まだ家族共有のデスクトップでこそこそネット見てたもので笑。その後わりとすぐに自分のノートPC手に入れてから、ほんとサイトに身を捧げていましたが。
すごい極端な話なんですけど、あの当時原作を神格化してたもので、SDで二次創作をするのが申し訳ない気がしていて。今でも原作の素晴らしさは実感しつつ、さんざん妄想しているわけですが、あの当時の気持ちは忘れないようにしながら、ありがたく今を楽しみたいと思います!