自分なりの幸せについて

あき
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社会人1年目の冬のこと、人事評価が良くて、昇進してお給料が上がると言う世間的に見るとありがたい・喜ばしいと言われそうな経験をした。

全く嬉しくないかと言うと嘘だが、それより「あ、このまま過ごすと、良い評価を追い求めて / お金がある生活を追い求めてしまいそうだな」「このゲームから逃れられなくなってしまうのではないか」と言う危機感を感じた。

そこで、「自分が何を幸せと思うのか、感じるのか」と言うのを改めて整理して言語化してみようと思った。価値観を他人軸にしないために。

今まで楽しかったことを色々書き出してみて、これらってどんな言葉でまとめられるかなと考えてみたり、その過程を人に話してみたりした結果、今のところ、この3つに落ち着いている。

1. 好奇心を満たすこと

好きなことを勉強したり、日に日に出てくる新しい論文を読んだり、本を読んで新しい分野を学ぶと言った知的好奇心を満たすことだけでなく、物語の世界に浸る、アートを鑑賞する、知らないところ・大自然・特に海外に出かけて新しいもの・価値観に触れる感覚、五感をフルに使って生きる感覚が大好き。一見分からないもの、複雑なものの行間を埋めて理解していく過程が好き。

専攻は数学だが、専攻の授業や1年の教養科目以外にもデザイン思考の授業・第3外国語・ビジネススクールの授業・教職、アメリカ・ドイツの短期留学・フィンランドでのワークショップの参加など大学から提供される機会を色々活用させてもらい、学部で取得した単位は200を超えた。

アートについては、写実的な作品よりも抽象的な作品の方が好み。写実的に描くスキルは全く自分には無いが、その表現は写真の方に委ねたくなるので、写真と離れた表現の方に絵画としては興味がある。

お酒や美味しいもの(海鮮/焼き鳥/フルーツ)も大好き。お酒についてもう少し話すと、元々ビールは特段好きでは無かったんだけど、ドイツに短期留学した際に現地のビールを飲んで美味しさに目覚めて、そこから色んなビールに興味を持って飲むようになった。特にベルギービールが好きで、日本の喉越しを楽しむラガービールと異なり、まろやかでアルコール度数が高くワインのようにのんびり楽しむビールが多い。好きが高じて「ビール検定」と言う資格の2級を取得した。ビールの作り方とか国ごとに有名なビールの話とか国産ビールの隆盛など4択100問で出題されるマークシート方式の試験。ちなみに1級のテストは記述式で回答する必要があり、2級の時点で満足してやめた。前職の面接の時に送った履歴書の資格欄には、運転免許・TOEIC・ビール検定の3つが並んでいた。次はワインエキスパートを取りたい。

「インプット」と言う短い言葉で表すこともできそうだが、それではなんだか情緒がない。

2. 自分なりの表現をすること

僕が表現について話す上で外せない出来事は、学部3年生の冬、ドイツ短期留学の前日に一眼レフを買った時のことだ。Nikon D5500と言うカメラでレンズ込みでおよそ10万円した。大学生にはなかなかの金額であるが思い切って買ってみた!これが大成功、一生モノの趣味が1つ増えた。行きの飛行機でカメラについての入門書を読み切った後は、1ヶ月でドイツ各地・フィンランドで何千回もシャッターを切って、それ以降色んな写真を撮っている、後から振り返っていいなと思う写真は自然の写真が多い。好きな写真を沢山貼って、思い出とか好きなところひたすら書く紀行文もやってみたいな。

デザイン全般好きだし、思い返すと、美術の授業も好きだった。デッサンとか何か見たものを正確に捉えてキャンバスに落とすことは苦手だけど、アイデア中心で何かを作るのは好き。中学2年生の時の美術の授業で、絵+熟語を書いてポスターを作ると言う課題があって、その時僕が書いたのが、絵を水平に切って上半分を水色下半分を青色で塗って、文字は下の方に「平和」と書いたもの。波風立っていない穏やかな水平線を描いた。

デザイン思考の講義を受けて、自分の中でのデザインの定義が広がった。

以前、ジェネラティブ・アートと言ってソフトウェアを用いてアートを作ることにも取り組んでいた。昨今話題のStable Diffusionなどのように言語でプロンプトを与えるのではなく、フィボナッチ数列を用いたタイリングなど背景に数学があるタイプの作品。昔の作品例(本当は動画)↓

ひとり暮らしを始めて、料理を定期的に作るようになった。ある時はペペロンチーノにハマっていて、具材を少しずつ変えたり、調理方法を少しずつ変えたりして探求していた。普段は作り置きをすることが多く、初めの頃は6品3時間程度かかっていたが最近では7品2時間程度で作れるくらいには手際も良くなった。「作り置きしていてすごい」と言ってもらえることが多いが、自分の中ではむしろ毎日少しずつ作り続けられる方がすごいと思う。一度に作りたいものを作り切って調理欲を満たした後で、しばらくは料理のことを忘れるor次に作りたいレシピをふんわり考えると言うことを繰り返している。

専門よりの話をすると、何か研究をして論文を書くことだったり、ソフトウェアを作ることだったり、好き。その中でも自分なりの工夫が入っていることが好き。研究はそれが必要なのは言うまでもないけど、お仕事の方でも強く思うのね。やることが決まってて後はその通りにやりましょう、と言う段階ではなく、もっとフワッとしている余白のあるタスク・プロジェクトが好き。その通りにやりましょうと言うプロジェクトに入ることは全て否定しているのではなくて、何か特定のスキル(例えば新しいプログラミング言語とかこれまで開発したことのない領域とか)を身につけたいと言う目的であれば自分であっても適っていると思う。その場合はむしろやることがかっちり決まっていた方がいい。

自分の中で、自分がプロジェクトに入ったからには自分が楽しんで仕事をしたい、自分が楽しむためには自己の意思がプロジェクトに反映される or 数理的に面白いと思える問題を含む必要がある。と言う思考回路なので、楽しめる仕事であることと表現活動であることは必要十分な気がする。

ことばを紡ぐのも好き。この活動自体もすごく好きで、ちゃんと書き起こしてみると改めて整理になったり、行間が空いてたので埋めることを楽しんでいる。

このように、自分の感性を通した某が自分の外に出ること、その過程を楽しんでいる。

その表現が受け取り手にどう届くのか、と言うことにも興味が出てきたので、1つの足掛かりとして写真の個展を大学院修了したら開く。個展としての方向性・テーマは決まっているがまだ内緒。

3. 共有すること

初期は上記2つだったが、色んな人と対話していく中でこの項目が追加された。上2つがずっとできていれば僕はずっと幸せか、そうではない、他者と過ごす時間の中で感じる幸福をなぜ見過ごしていたのか。

誰かと一緒に時間を共有する。

美味しいものを食べて飲んで美味しいね、と言い合ったり、どこかに人と出かけたりして体験・感覚 を共有する。

自分の好きなものを布教したり布教されたりして趣味を共有する。

なんか面白いもの開発したからちょっと見て、と言って話したり。

そう言う時間も好きだなあ。1人の時間も好きだけど。

後は、まさにここに書いていることのような自分の心の声・感情を共有する。

他のものが薄いと言いたいわけではないのだけど、これができると特に嬉しく、心が暖かくなる。

傍目から見るとポジティブなお調子者と言う風に見られがちだけど、それなりに?しっかり?ネガティブだし、ひねくれてるよ。とか言うこぼれ話ができると心が一層深いところで通じ合った感覚になるよ。

でもこの人にはどこまで話そうとか無意識に壁作っちゃうところがある。まあだからこそ、数少ないそう言う話ができる人がいてくれるととても嬉しい。

なぜ僕は文章を書いて公開しているのかと考えると、「自分の頭の整理(これ単体なら公開する必要はないが、他者に見られても恥ずかしくない程度の文章に仕立て上げると言う意味で)」・「僕が他者の文章を読んで勇気づけられたように、あわよくば誰かを勇気づけたい」ことに加えて、「ここで書かれているような話を僕に投げてもらっていい」と言う態度表明の部分もあるなと感じた。別の見方をすると、ここに大事なことは置いてあるから、必要になったら、迷ったらここに帰って来ればいいという外部記憶装置としての意味合いもある。ここに書き出した分一時的に削除してもいいので、空いたスペースで別の考えごとをする。


2.の表現、と言う抽象化が個人的に一番良かったことで、演劇系のワークショップへの参加など新しい表現活動をやってみようと思えた。言い換えると、写真やカラオケといった具体的対象から「表現」と言う言葉に抽象化して保持しておくことでその網に引っ掛かるこれまで体験したことのない対象に気づくことができた。

最近、この3つは存在するとしてその土台に「熱中」があるのでは無いかと思う。それぞれの活動の中で今やるべきことに熱中している前提で何をするのか、それが上に挙げた3つのこと。


あとがき

自分の文章って歯切れが悪いと言うか括弧書きが多いと言うか、、何だろうね。後から話したい話が増えてくると言うか自分が言った・思ったことに対して即座にツッコミを入れたくなってしまって、、、英語よりな思考ってことでいいかな笑 (後から付加情報たくさん足せるので)

あとさ、書き出したら、あ、この話も書きたい、とか色々出てきて寄り道したくなっちゃうんだけど、それはそれで別でそのテーマだけで書きたいなあと思うので所々手を止めた。

文字起こししてるけん、もちろん書かれた言葉ではあるんやけど、”書き言葉”にはなりすぎないようにしたいなあ。その方が生煮えな感じがして好き。

久々に感情をここまで文章に起こしたと思うんだけど、思ったより好き。普段iPadに考え事を書き連ねるのが好きなんだけど、それって何か考えたいテーマに対して自分が思うことを箇条書き風に書いていくだけで、こうして改めて文章に起こそうと思うと、文同士の繋がりがなくてそこを埋めていく過程が新鮮だった。