ファタールの蟹江さんについて

猪子
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 これまで生きてきて、所謂ファタールと分類されるタイプの人間にふたりほど出会ったことがある。ファタールの定義はいろいろあるようだが、運命を感じさせる相手、その結果として人を破滅させる魔性をもった人間、というようなことがWikiには書いてあった。個人的には、破滅というより出会った相手の情緒をめちゃくちゃにしていく人間、くらいの意味で使っている。

 さてわたしが人生で出会ったファタールのうちひとりは高校の同級生である。彼女は卒業後俳優を目指して渡米し、いろいろあって二児の母となった。いまもアメリカにいるのかどうかはしらない。でも日本に居るより彼女にとっては生きやすい環境のようだったから、そのまま彼の国にいるのかもしれない。

 もうひとりは十年以上まえに交通事故で死んだ。不謹慎は重々承知のうえで、わたしは後々、彼のその生命の終わり方までがファタールっぽいなと思ったものだった。便宜上彼のことを蟹江さんと呼ぶ。

 蟹江さんはわたしの小中学校の同級生だった。そして浪人中わたしは彼とおなじ予備校に通っていた。なのでわたしの蟹江さんの最後の印象は、すらりと背の高い、かつての印象からずいぶんと変化した青年の姿になっている。彼は一年浪人し、しかしわたしたちの通っていた予備校にはあまり姿を見せず、となりの駅にある別の予備校に入り浸っていたらしい。のちに彼の友人から聞いた。気安い仲の同級生がそちらの予備校にいたのだという。いずれにせよ彼はその一年を過ごした後に京都の大学に通うことになったし、それから二年か三年後に帰らぬ人になった。

 蟹江さんは昔から妙にモテる人間だった。たしかに整った顔立ちをしていたが、とはいえ同級生のなかで彼だけが際立ってうつくしかったわけではなく、容姿だけでいうならワンオブゼムのうちのひとりだったと思う。だが蟹江さんは小中通してずっとモテていた。高校時代は知らないが、たぶんモテていただろう。大学時代はいっそうモテていたのではないかと思う。葬式の時に当時の蟹江さんの恋人だという女性が泣き崩れているのを見かけた。人伝に聞いただけで、ほんとうにその人が蟹江さんの恋人だったのかどうかは知らない。ただわたしはその光景を横目に焼香をしながら、蟹江さんって特定の相手を作ったりできたんだな、と失礼なことを考えていた。わたしの印象のなかの蟹江さんは誰に対してもいつも曖昧な態度をとる、恋愛という激情とは無縁なタイプに見えていたからだ。

 こんなことを言っておいてなんだが、例に漏れず、わたしもかつては蟹江さんに魅了された女子児童のひとりだ。わたしに限らず蟹江さんを好きな女子児童も女子生徒も、もしかしたら男子生徒も、のちに断続的に発生し続けた。別に知りたくはなかったがそういう情報はわたしの耳にも入ってくるのだからしょうがない。同じ小学校からほとんどの生徒が持ち上がりの、中学における恋愛事情などひとりに打ち明ければ一週間後にはだいたい同じコミュニティのなかで広まっているものだ。蟹江さんはクラスでもてはやされるタイプではなかったが、誰からも一目置かれるようなタイプのモテ人間だった。彼の生前、そして死後も、さまざまな人が彼に情緒をめちゃくちゃにされていたことをわたしは知った。中学生のわたしはその概念すらも知らなかった、蟹江さんはファタールの男だったのだ。

 ファタールの存在というのは、周囲にいる人間にも様々に影響があるが(もちろんファタールの影響をうけない人間もいる。影響を受けても堪えられる人間もいる)、なにより、本人に大変な苦労があるというところがつらいなとわたしは思う。なにしろ当人にはまったくその気がないのに、相手が勝手に情緒をめちゃくちゃにされてしまうのだ。ありがた迷惑極まりない。というかただの迷惑だ。わたしがそれに気付いたのは、前述のニューヨーカーになった高校の同級生と仲良くなってからだった。彼女はそのファタール的性質とは別の要因で学生時代は苦しみのなかにいたが、日本を離れたことでその苦しさのいくつかは改善したようだ。物理的な距離が解決する問題もあるということだろう。蟹江さんはどうだっただろうか。蟹江さんは自分の好きな漫画の話はよくしたけれど、自分の話はあまりしない人だった。もしかしたら、そういう徹底して自分を語らなかった、あるいは語れなかったことが、人が彼に魅了された理由なのかもしれない、と考えることがある。もちろんわたしは彼ととても親しかった訳ではないし、つまりこれは単なる想像の話ではあるのだけれど。

 わたしは蟹江さんが死んで十年以上経ったいまでも、蟹江さんのことを夢に見ることがある。彼は最後に見たときの姿ではなく、決まっていつも小中学生のころの姿で現れる。それはたぶん、わたしの後悔のかたちなんだろう。わたしは蟹江さんとの間に、いつか答え合わせをしたいと思う問いかけがあった。成人したら、あるいはもっと先にまた会えたら、聞いてみたいことがあった。だがそれはもう二度と聞けない返事だ。そういう断絶が蟹江さんのまわりにはいくつもあるのではないかという気がする。