3月14日 よく晴れてた

ditraut
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夏頃から、自分の力では確実に解決できないことについてくよくよ悩むのはよそうと考えるようになって、やっと少し割り切り方が見えてきたように思う。それでも、見送った人の背中が改札の向こうに消えて見えなくなったあともその場から動き出せずにぼんやりと立ち尽くす3分くらいの時間や、そのあとに連なるいつも通りの生活がどうにも苦しくてふんわりと消えたくなる。特に今日みたいな日はきつい。いっときでも主体性を失って未熟な振る舞いをしたことに対する罰がずっと続いているような気がする。

昼間に解散したあと、ばかみたいに晴れていたのでホットドックを齧りながら中野まで歩いてマイルストーンを買い、マックに寄ってなんとか黒蜜パイをテイクアウトして、四季の森公園の芝生に座って食べた。しんどくても日光を浴びるとわりと勝手に元気が出てくるのがすごい。かわいいガキンチョが芝生の上を駆け回るのを尻目に二時間くらいひなたで本を読んでいたらすっかり気分が良くなってしまった。軽やかに帰宅して、ベッドに沈み込んでうたた寝をしていたら変な夢をいくつか見た。夕方に寝てふと目覚めた時特有の寂しさで苦しくなりながら、淡く金色に光る細縁の眼鏡をかけた横顔や、ゆうべ焼いておいた菓子をとても美味しいと言って食べてくれたことや、珍しく香水をつけていなかった皮膚の薄い匂いなんかを思い出していたらまた涙が出た。写真を撮っていい関係ではなくなってしまったような気がして控えていたのに、帰り際にどうしても覚えておきたくて何枚かうつしてしまったのもあとから悔しい。ずっとこうやって生きていくんだろうかと思うと虚しくてたまらない。