新配列は創作文のためにある、という言説がある。
配列の性能を議論するとき、タイプウェルなどのタイピングゲームの記録が引き合いに出されることがよくあるが、新配列の本分はそこにはないという主張だ。
これについては、私も同意である。
タイピングゲームは入力するのが単語単位だったり、かな漢字変換が不要だったりと、実用とは異なる部分が多い。
また、あらかじめ決められた文章や単語を打つ「コピー打鍵」と、自分で文章を考えながら打つ「創作打鍵」との違いもあり、タイピングゲームは前者にあたる。
車でいえばサーキットを走るようなもので、カタログスペックを測るのには役立ちこそすれど、日常での使用感を必ずしも反映しているとは限らない。
真に注目すべきは公道での走りである、という主張には一定の説得力があるだろう。
では創作文での性能を測るには一体どうすればよいのか。
指標の一つとして、ある自由文を書いたとき、その文字数と所要時間をもとに、変換込みでの速度を「○○字/分」で表すものがある。
いわゆるCPM(Characters Per Minute)というやつである。
だが個人的に、この指標はあまりアテにならないと思っている。
書く文章によって基準がブレてしまうからだ。
例えば「漢字含有率」というファクターがある。
その名の通り、文章に含まれる漢字の割合を示す指標だ。
同じ打鍵数で文章を書いたとき、この漢字含有率が低いほど基本的に文字数は多くなる。
つまり、見かけ上の速度は速くなる。
例を挙げると、「もっとも」を「尤も」と書くか、そのまま「もっとも」と書くかで2倍の差が出てしまうのだ。
漢字含有率は、書く人の文体や漢字を開くかどうかの判断、文章のジャンルなど、様々な要素によって上下する。
硬い文章だと40%を超えたりするし、軽い文章なら20%台、ものによっては20%を切ることもある。
配列界隈でお馴染み(?)のAlternative Typing Contestの課題文で、漢字含有率の高いものと低いものを打ち比べてみると、後者の方が少ない打鍵数で文字数を稼げる傾向があることを実感できるだろう。
(高いのは「教育困難校」や「限界集落」、低いのは「バイブコーディング」や「キダルト」などが該当する)
では変換は考慮せず、カナ単位や打鍵数単位で速度を測れば問題は解決するのだろうか?
残念ながらそうとも限らない。
以下の画像は、とある2つの文章を並べて比較したものだ。

左はこの記事の本文で、右はそれをリライトしたものとなっている。
文字数にして実に3倍もの差があるが、語られている内容の本質はほとんど変わらない。
実際に読んでみると分かるが、左の文章に比べて右はかなり冗長な言い回しで書かれている。
同じ題材で、同じ思考をもとに同じ主張をアウトプットしたとしても、文体や執筆スタイルによって出力される文字数はいくらでも変動してしまう。
有り体に言ってしまえば、だらだらと回りくどかったり、過度に修辞的だったり、口語体で内容の密度が低かったり、そういった文章を手癖で書ける人が有利になってしまうのだ。
同じ人間が書いた文章に限定して分析するならまだしも、複数の人物や配列を横断的に比較するのは困難だろう。
そんなわけで、創作文の速度というのは水物であり、これを絶対的な基準にするのは厳しい、というのが私の立場である。
じゃあ結局、ある配列の創作文における強みというのをどうやって判断すればよいのか。
その手がかりを探すための第一歩として、私はこのブログを開設し、今こうして記事を書いている。