愛犬を焼いた日

djamh
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5月11日、金曜の早朝に愛犬が旅立った。

15歳の誕生日を迎えて5日後のことだった。

前日の昼間、わたしは大学で授業を受けていて、「痙攣が起きた、今夜が山かもしれない」という母からのLINEに体温が下がる感覚を覚えた。

たしかに最近食欲が落ちていたり、寝つきが悪かったり、よく眠るようになっていた。それでもやっぱり死ぬ前は寝たきりになっているようなものだと思っていた。彼は前日まで短いながらも散歩ができていたし、ご飯も食べていたし、いつものまんまるい目をきらきらさせていた。なんとなく、わたしが大学を卒業するまでは生きているはずだとぼんやり考えていた。

授業を早退して家に向かう電車の中でぽろぽろと涙があふれた。まだ死んでいないのにごめんね、謝りながらも、果たしていつ逝ってしまうのか、いまの時点で間に合うのかすらわからない状況ではそうするしかなかった。

ただいま、と押し開けた扉の先で彼は寝ていた。まるでただ昼寝をしているように見えて、さっきまで痙攣が起きていたなんて嘘みたいな落ち着きだった。母によると、子犬のころの夜泣きのような甲高くてさみしい声を上げながら震えていたそうだった。結局わたしは彼が亡くなる少しの間、一度もその鳴き声も痙攣も目にすることはなかった。苦しみなんかないように穏やかで落ち着いていて、母の「あなたが帰ってきて安心したんだね」という一言に安堵した。

その夜はずっとついていた。その落ち着きをみて、なあんだ、一時的に具合が悪いだけなんじゃないか、なんて思ったりして。このまま体調が戻って、あと1年は生きてくれるんじゃないか、という甘い考えはあっさり裏切られた。

翌日5時ごろ、父の「息がない」というひとことで目が覚めた。わたしにはただ寝ているようにしか見えなかったけれど、徐々に死後硬直が始まった。心臓は止まっていた。

死んでいるようには見えないけれど、魂はどこかにいってしまったようだった。たしかに肉体はそこにあるのに、抜け殻になってしまったように空っぽで、どうすればいいのかわからずただ泣いた。

それからは早かった。こういうときにとても冷静な父はすぐにペットの葬儀屋に連絡してくれた。開店と同時に9時からの葬式が決まった。始まるまで3時間しかない。悪く言えば情がないし、よく言えば冷静。目も鼻も真っ赤なままだし、ていうかもう少し悲しませてくれよ、と思いながらも、黒い服を着てメイクをして準備した。黒ばかり持っているので、こういう時喪服に困らなくていいな、なんて思った。もちろん花屋なんて開いていないので、庭の花をいくらか摘み取って花束にした。今思うといつも彼がいたのは庭だったから、これで良かったんだと思う。

ペットの葬儀は初めてだった。

いままで小動物を亡くしたことはあったけれど、庭に土葬をするという形でお別れした。けれども犬はやっぱり大きいし、役所に引き取ってもらうのはあまりに呆気ない。15年も一緒にいたのだから、ペット、というよりも人間の家族とほとんど同じだ。実際行ってみると、葬儀の看板が立てられ、献花があり、火葬に立ち会い、納骨もした。人間の葬儀と何ら変わらない。

ペットの死体をどう扱うかは飼い主の自由だけど、少なくともわたしはただ肉体を引き渡すだけよりも葬儀をしてあげられて良かったと思っている。愛犬が籠の上で綺麗にねむる姿を見て、火葬を見送って、骨を納めるという一連の流れに向き合うことで、なんとか自分の中で折り合いを付けることができそうだと思ったから。

焼けて残った骨は正直格好良かった。犬が寝ていた形そのままに並んだ頭蓋型、肋骨、足の骨、小さな爪や歯、泣きながらピンセットでひとつずつ納め、「生き物ってすげ〜」と感心した。

犬の骨は5寸の、わたしが抱えられるくらいの壺に収まった。スタッフの人にも驚くほど綺麗な骨と歯だ、と褒められた。最後まで食べ物に対する食いつきは良かったから。おやつを持っているわたしの指ごと噛みついてしまうくらい食に目がない子だった。老化で筋力は落ちていたけれど、骨もしっかりとしていたから怪我もしたことがない。

葬儀を終えて、残された人間の空洞ができたような気持ちと、見送ることができてなんとなく心が晴れるような気持ちが同居していた。15歳は確実に寿命を超えていたし、最後まで自分で水も飲めたしふらふらしながらも歩けていた。寝たきりで苦しみながら生きるよりもきっと良かったんだと思う。最後に綺麗にブラッシングされた毛並みはいつも以上に艶があって、生き返るんじゃないかと思ってしまうほどだった。

わたしが6歳のころにやってきたコロコロとした彼と、22歳を迎える前に逝ってしまったおじいちゃんの彼と、この15年間をずっと愛している。15年をそう簡単に乗り越えることはできないし、ぱたぱたと歩く足音ややわらかい毛並みやしっとりとした鼻を忘れることはできないけど、少しずつ思い出にしていけるように頑張りたい。

普通の生活を取り戻さないといけないし、ひとりでなにもしていないとどんどん空洞が広がっていくような感覚がある。

少なくとも後悔はない。やれるだけのことをやったし、愛せるだけ愛してあげられたと思えるのは何よりの幸せだと思う。

おわり