「お前はまだ思考がガキっぽい」
数年ぶりの海外赴任から帰国した父に、何度も言われた言葉だ。
その言葉は過去二十余年かけられてきた言葉の中でもかなり耳の痛い部類に入る忠告だった。
自覚はあった。大アリだ。
成人してもなお、まだ自分のことばかり考えていて、弟を目の敵にしていて、自分の機嫌のコントロールすらできないでいる。
性格は捻じ切れ、人に影響を与えたいと思っているが人のために身を削ろうなど微塵も思えない。そんな自分を自覚しているからこそ、自己嫌悪に陥る。
しかし自分の進む方向性、生き方が果たして正しいのか、それさえもよくわからなくなってきている。
私はロシア・旧ソ連地域の言語や文化の知見を元に創作活動を行い、それらの素晴らしさを広め草の根の交流を深めていきたいという思いを持って日々絵を描いているが、果たしてその生き方は正しいのだろうか。質問を変えると、その企みは成就するのか、疑問を持っているということである。
もしかしたら自分の思い描いている理想像は、とんでもなく烏滸がましいことなのではないかと思い始めたのだ。
この5年間で本当にロシアの文化を知っていると言える程になったのだろうか?たかが半年留学しただけで?ロシアという国の本質に牙を剥かれてロシアから逃げ帰ったくせに?
思えば自分は全然大したことはないのだ。文化を語る資格のある人間は他にいくらでもいるし、もしかしたら自分の使命はもっと別な所にあって、自分の運命はもっと異なる道の先にあるのではないか、とさえ思ってしまうのだ。
願いが一つ叶うなら、自分の使命を知りたい。このまま無為に死にたくない。
この一見「他者に与したい」とみせかけた欲求こそがまさに自己中心的で幼いのだろう。