ピオネール・スカーフの夏①

おくるみ
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確かに、彼のトランクにはシャベルがあったのだ。

ただトランクに置いてあるだけだというのに、何がダメなんだ?

(…ロシア人にとって絶対に必要なものじゃないか。冬だったら、雪かきをするだろう?まだ9月にしたって、ぬかるみにはまったり、どこかに落ちたりすることだっていくらでもあるだろう?ゴムの長靴や洗浄剤があったってこの人達は驚くのか?) 

交通警官のいかにも興味ありげな目を覗き込んでも、ユーラは彼らが自分をからかっているのかどうか、よく分からなかった。この人達だってロシア人なのに、まさか理解していないのか?彼の説明を最後まで聞いて、双子みたいに瓜二つの顔をした2人の交通警官はシンクロして頷いたが、行かせてはくれなかった。彼らは免許証から私が外国人であることに気づき、”お土産”を…つまり、外貨を欲しがったのだ。ユーラに余計なトラブルが降りかかっている理由として、彼にはルール違反があるらしいのだ。

「標識違反ですか?」

「ええ。」

「速度超過?」

「超過していますね。」

「つまり、違反があったと?」

「そうですよ。」

「そんなはずないでしょう!」

急な坂道の下にはポプラの木に隠れた標識があった。

ユーラはただ気づかなかっただけだった!

ユーラはにやりと笑った。

「坂の下でレーダー探知機を持って突っ立ってるより、ノコギリで枝を切り落とした方がいいと思いますよ。規制があるということは、つまりここ周辺が危ないということですからね!」

明らかに交通安全に興味のない交通警官達は、これに対し「枝を切るのは我々の管轄外なんですよ」と愛想もなく返事をした。

 「もういいでしょう、罰金は罰金ですから。」手の中で運転免許証をくるくると回しながら、少し背の高い方の警官はため息をついた。

「まあ、この問題はもっと簡単に解決できるのですが…あなたも余計なトラブルは望んでいないでしょう?」

ユーラの心の中では、ヨーロッパでのルール(彼はドイツで半生を過ごしたのだ)、そして常識との間で葛藤があった。

正しさのために枝の切り落としと告発の取り下げを求めるか、あるいは賄賂を渡して時間を節約するのがいいのだろうか?葛藤はそこまで長引かず、常識が勝った。実際のところ、ユーラがトラブルに巻き込まれた意味は全くもって無かった。

「いくらです?」

男たちは顔を見合せて、ずる賢く目を細めたのだった。

「500ルーブルです!」

ユーラが財布に手を伸ばすと、すぐに勇敢な職員達は優しくなり、微笑み始めた。

友好的な態度でどこに行こうとしているのか尋ねると、”ガイジンさん”がこんな僻地でうっかり迷子にならないように、と道案内をすすんで申し出たのだ。

「ゴレトフカ村へはどうやって行けばいいのですか?地図には村があるのに、道が無いんです。でも道はあったと記憶しています。」

「ゴレトフカ?」背の高い方の警官が聞き返した。

「そこはかなり前にもう村ではなくなって、今はコテージになっていますよ。」

「そうですか、村でなくとも、そこに行くことは可能ですか…?」

「行くことは出来るでしょうが、おそらく入れないでしょうね。ここは保護区なので勝手に入ることは出来ないんです。」

ユーラは考え込んだ。交通警官達と話す前は、村に入り、かつてのコルホーズ(集団農場)を通って川に下るという明確な計画があった。しかし、村に入る手立てはない事が判明したのだった…

それでもリスクを冒すべきかもしれないのだろうか?

村の跡地にいる警備員の誰かと交渉すべきなのだろうか?

ユーラは首を横に振った。いや、上手くいかなかった場合、多くの時間をロスすることになる。

残された手段はただ1つ、キャンプを通り抜ける作戦だ。ユーラはまた尋ねた。

「そうなんですね。それでは”ラスタチカ*”の行き方を教えてくれませんか?」

*ラスタチカ:ロシア語で「すずめ」を意味する

「どこへですって?」

「ジーナ・ポルトノヴァ記念*ピオネール*キャンプの”ラスタチカ”です。

*ピオネール:ソ連時代のボーイスカウトのようなもの。

*ソ連・ロシアでは教育施設などに著名人・偉人の名前を冠する事が多い

ソ連時代にはここから遠くないところにあったんです。」

背の低い方の警官が、明るくなった。「あぁ、あぁ、キャンプですね。」

「ええ、昔はそうだったんです…」

背の高いもう一方が訝しげにユーラを横目で見た。

「そもそも一体何のためにそこに行く必要があるんですか?」

「私はソ連に生まれ、そのキャンプで幼少期を過ごしたのです。ハイムヴェー、ノスタルギー*…」彼は言い直した。

「ノスタルジー!」

*これらは郷愁を意味するドイツ語である。(原文:Das Heimweh, Nostalgie)

「ああ、なるほどなるほど、わかりました。」交通警官達は顔を見合わせた。「地図はお持ちですか?」

ユーラは彼らに地図を渡し、交通警官が指をさした箇所を注意深く目で追った。

「295番道路をレチノエ村の標識まで20メートルほど進んで右折し、突き当たりまで進んでください。」

「ありがとうございます。」地図を返してもらい、100グリブナ*を餞別の代わりに交換すると、ユーラは出発した。

*グリブナ:ウクライナの通貨

「少なくとも一回は止められると思っていたさ!」彼は悪態をついてアクセルを踏み込んだ。

ユーラはこれらの場所を全く知らずに、地図だけを頼りにしてきたのだ。

20年前にはここの道路沿いに生い茂っていた暗い雑草が、広大な小麦畑とひまわり畑に変わっていた。土地開発はゆっくりと、しかし長い足取りで今ここに到達しようとしていた。

森林は伐採され、畑は整地され、一部の区画は柵で囲まれていた。その背後にはクレーン車、トラクター、掘削機があり、工事現場は喧騒に包まれていた。

そして、ユーラの記憶では澄んでとても遠くに見えていた水平線は、今では灰色で小さく見え、地平線までの空間には、至る所にダーチャ*やコテージが点在していた。

*ダーチャ:菜園付きの別荘

警官のアドバイスどおりに、レチノエ村の標識のそばに車を停めた。アスファルトで舗装された道路が突然途切れるように終わり、車が揺れた。トランクにあるシャベルがガチャガチャと大きな音を立て、まるで生きているかのように存在を思い出させた。

彼はキャンプへの行き方を全く覚えていなかった。最後にユーラが”ラスタチカ”を見たのは20年前だったが、自分で行ったのではなく、連れられてここに来たのだ。

“児童”のプレートと旗を掲げ、列をなした白と赤の縞模様のバスに乗るのはどれだけ楽しかったことか。

前方のバスはパトカーの後ろにつくので、道も空もすべて見渡せた。サイレンの音を聞いたり、童謡を嬉々として合唱したり、あるいは馬鹿げた流行り歌が子供っぽく思えてしまって、退屈して窓を眺めたりしていた。

ユーラは最後にキャンプに送られた時、歌わずに耳を傾けていたことを思い出した。「車のライトは燃え、運転席には旗が立ててある。これこそが、私たちのピオネールキャンプに向かう部隊だ…」

–––そして20年後、聞こえてきたのはトランクのシャベルが跳ねる音だけだった。

彼は轍や穴にぶつぶつと文句を言い、どこかで立ち往生してしまわないように祈り、青空とは言い難い灰色の空を見つめた。

雨だけは降りませんように!

行動プランを考え抜き、最終決断を下した。

ユーラは村に入れると思って日中に出発したが、キャンプに入るには夜中まで待たなければならなかった。

そうすれば全て解決する。9月の最後のピオネールの派遣が終われば、つまり子供たちはもう居ない…キャンプは軍事施設ではないので、残るのは警備員だけ、夜の森の中は何も見えないくらい真っ暗で、彼らの目を掻い潜って忍び込むことは容易だ。もし気付かれたって、何とかなるだろう。

もちろん、警備員のおじさんは藪の中を徘徊する男に怯えるだろうが、やがて正気になり、例えシャベルを構えていたって、アルコール中毒者やホームレスという訳ではないのだから、至って普通の市民だと分かってくれるだろう。

ピオネール…赤いスカーフ、体操、隊列、水泳に焚き火。ずっと昔のことのようだ。

今では全て変わってしまったのだろう。国は別のものになり、国歌も変わり、スローガンや歌も異なっていて、今の子どもたちにはネクタイもバッジもない。でも、子どもたちは同じで、キャンプもまた変わっていないのだ。

まもなく、まさに今まもなく、ユーラはキャンプに戻り、人生で最も重要な時間を思い出し、最も大切な人を思い出すだろう。

もしかしたら、その人に何が起こったのかさえも分かるのかもしれない。

それは、もしかしたらいつかユーラが、本当の唯一の親友である彼に再び会えるかもしれないということなのだ。

@dlya_menya
思考、苦悩、喜びを書き綴ります