【挨拶】挨拶と音ゲーの経歴について

do96ch_y
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ふと寝れなくなってしまったので思っていることを文字に書き起こしてみる作業をしてみる。

挨拶

どうも、こんばんわ。界隈によって呼ばれ方がマチマチな人です。ギタドラ界隈的にはDO96CH.Y、DP界隈的にはFUSEI3とか王子とか呼ばれています。正直な話、色々と通り名を出し過ぎちゃったせいで呼ばれ方がマチマチなのは分っていますが...色々とご容赦ください。

そんなことで自分の思っていることだったり考えていることだったりを文字形式で起こして発信していく目的で執筆を始めてみようかと思い、今後も書き殴っていこうと考えている次第です。自分の経験や分析などから得られたモノを発信していく想定ですので、主観的な部分がほぼ100%だと思っています。当然ほかの人と考え方が違ったり、そもそも価値観が違ったりすることは想定しうると思っていますので、その点については含みおきください。

挨拶はこの辺までにしておいて、初回では音ゲーの経歴について...

音ゲーの経歴

  1. 小学生時代

  2. ギタドラ時代

  3. DPを始める

  4. FUSEI3を名乗る

  5. ここ数年くらい

  • 小学生時代

一番最初に「音楽ゲーム」なるものを触ったのは、いとこが遊んでいたCS版beatmaniaだったのは記憶している。ただ当時の年齢がいくつだったかまでは正確には覚えていないが、いとこが初代と2nd mixを持ってきていて祖父母宅で遊んでいたのは鮮明に覚えており、特にcat songの黒鍵地帯だったり、love so groovyの連打だったりは強く印象に残っている。

その後、小学校高学年くらいになって近所のスーバーにAC版5th mixの存在を知り、ここで初めて「音楽ゲーム」としてのアーケードデビューとなる。基本BASICで遊んでいたが、HI-SPEEDオプション付きでHELL SCAPERをクリアまではしていたはず。GOODを出さないことよりも楽曲クリアに専念してた時代でもある。

  • ギタドラ時代

中学生になって5th mixが稼働していたゲームコーナが無くなりbeatmaniaに触れる機会が無くなってしまったが、たまたまの通りがかりでdrummania V2が大盛況していたのを目撃する。「俺も俺も」とクレジットを積み当時は楽しんでいた。しかし横に並んでいるguitarfreaksの筐体はいつも稼働率低めで誰かがやっている雰囲気すらない。それなら俺がやってみる...操作に関してはシビアだが楽しいじゃん。これがギタドラ時代の始まり。

その後作品を重ねていくにつれスキルは上がっていき、V4でギターは炎ネーム、ドラムは赤ネームを達成。drummaniaに関しては自分の運動神経的に見切りをつけた方がいいなと感じ、その後はguitarfreaks1本で勝負。

  • DPを始める

これもたまたまではあるが、息抜きでIIDXをやろう(当時GOLDかDJT)とした際、先客がSPではなくDPをやっているのを目撃する。当然ここでも「俺も俺も」とDPに触れたのがきっかけとなる。DP楽しいじゃん。

EMPでDP八段、SIRでDP九段、RAでDP十段と順調に進み、tricoroでDP皆伝に合格する。ただ当時はあくまでguitarfreaksをメインとしてクレジットを積んでおり、サブ感覚でDPをやっていたためそこまでクレジットは突っ込んでいな...かったと思う。なお同時期ぐらいにメインでやっていたguitarfreaksでは、XG2でKAC本戦に駒を進めたり、XG3で虹ネームになったりと快挙を達成するも、ホームとしていたゲーセンでギタドラの撤去がありguitarfreaksに対するモチベーションが消失する。以降サブ感覚でやっていたDPに本腰を置いてクレジットを積み始める。

  • FUSEI3を名乗る

PEN~COPの頃だっただろうか、一時期『FUSEI3』というDJネームが全国区で流行ったのを記憶している。当時自力の上限を上げる練習法としてDBRを取り入れていたが、某氏から「そんなにDBRが好きなら『FUSEI3』名乗ったら?」とお声がけ頂いたのがキッカケで「俺も俺も」と名乗り出ることに。COPから『FUSEI3』を名乗りはじめて以降、不思議なくらい高難易度もDBRも新規クリアが増え続け自力がうなぎ登りに...もの凄いパワー恐るべし。

ちなみにお声がけ頂いた某氏は今でも交流があり酒の場で色々とアドバイスを貰うが、彼の適格なアドバイスが痒い所に手が届く感じで参考にならないことがないくらいである。某氏をはじめ、DPer間の交流が増えたのもこの頃ぐらいだったと認識している。

  • ここ数年くらい

HVにLightning Modelが稼働を始め暫くは様子見としていたが、価格設定が旧筐体と同じになったことを皮切りにBISから「俺も俺も」と旧筐体からLightning Modelへ移行する。スコアの出しやすさ故にスコア出しに専念し始めたのもこの頃くらいからだったはず。

今となっては『FUSEI3』を名乗るプレイヤーは少なくなったものの、『FUSEI3』を名乗り続けているプレイヤーがいる限りは自分も頑張らねば...という自負がある。それが今のDPやDBRに対する原動力になっているんじゃないかとは考えており、あの時(COP)に名乗り出て正解だったのではと安堵する一方、これからも自力向上させねばというプレッシャーも少なからず存在している。『FUSEI3』を名乗り続けている以上はもう暫く頑張る必要があるなと、これが今の自分の使命なのかもしれない。

おわりに

色々と文章を殴り書きしていて気付いたことが1つあり、転機となるタイミングで「俺も俺も」と好奇心に駆られる瞬間が存在している。何故だろうか。

あまり自分のことを深追いすることに意味があるのかは分からないが、少なくとも自分の性格上新しいモノ好きなのはあるのかも知れない。自分の経歴を見る限り次の新しいモノを試してみよう、楽しいじゃん、以下無限ループみたいな感じになっていることが多い。でもそんな性格があったからこその今の自分が存在すると考えると、新しいモノ好きという性格は決して悪いことではなく、むしろ功を奏しているんじゃないかと思えてくる。その新しいモノや環境を提供してくれた人物には今でも感謝である。