今回は2021年9月ごろに別の媒体で書いた文章を再掲します。
自分に嬉しいことが起きたとき、自分以上に喜んでくれる人と出会うことがある。そんな人の存在が尊いという話。
少し前ですが自分にとって嬉しい出来事がありました。その話をある方にした時、私以上に驚き、喜んでくれていると感じました。
その時は単純に嬉しいなぁと思ったのですが、後から振り返ってみると、なんであんなに喜んでくれたんだろう?もし逆の立場だったら、私は同じくらい喜べていただろうか?とふと思ったのです。
どういうときに他人の幸せを素直に喜べるのか
「羨ましい」成分が一切ない
そもそも土俵が違うのかもしれない
土俵、という観点がないのかもしれない
自分からの視点を一切排除している?わけでもない(成長を側から見ていたりして、その成果に喜ぶこともある)
共感力がある(その人の苦労や努力を理解している)
その人と私をきちんと切り分けられている
→共感とは正反対に思えるけど、実は線をしっかり引ける人なのではないか。
「分かるは分ける」。相手のことをよく知っている人。これかもしれないな。
一緒に喜んでくれて嬉しい、をもう少し掘り下げてみたら、私のことをわかってくれて嬉しいという気持ちなのか、と腑に落ちました。
裏を返すと、相手のことを理解することによって、その人の喜びを心から喜べるようになれるのかなとも思いました。