やっと近所の映画館で上映されることになり、オットと観に行ってきた。中心地では昨年から上映されていたんですね。
とてもとても好きな映画だった。
鑑賞後、オットと夜ご飯のお店を探しながら歩いていて「映画、どうだった?」と発した声色から(努めてフラットに聞いてくれていたけど)彼はそんなに好きではない映画だったんだなと悟った。
私はうまく気持ちを表す言葉が見つからないまま、終盤からじんわり涙が浮かんでいたのを必死に堪えていた。「うまく表現できないんだけど…」とぽつりぽつり話していると「そんなに綺麗に言おうとしなくていいよ」と彼は声をかけてくる。
違う!私はちゃんとこの気持ちを共有したいのにそんなこと言わないで!と反射的に声を荒げてしまい、オットも少しびっくりしていた。(気遣いで言ってくれてただろうに、ごめん)
結局トライ3軒めでようやく入れた居酒屋で、ハイボールを飲みながら続きの話をした。
彼の話を聞いてみると、私とはだいぶ違う鑑賞をしていたようで、どうもこの映画は「観る人がどう捉えてもよい余白」が多い映画なのかもと思った。
私は何故か、平山を通して父のことを考えていた。決して彼のように秩序のある人間ではないのだけど、平山のように言葉数が少ないほうで、表情は穏やか。年齢もたぶん近い。最近は長年勤めた仕事を辞めて、近所の町工場のようなところで時短勤務しているらしい。植物ではなく、猫がいちばんの友達。
平山に対して「これからもずっと、そのときそのときの喜びや楽しみを感じながら生きて欲しい」と小さく願うように、父にも同じことを思っていた。
映画館で観るとよさそうな映像作品ってグラフィックがすごい迫力とか、音楽が凝っているとかそういうものだと思っていたけど、今回の映画はそれらとは違う「映画館で観るからこその良さ」があると思った。気の散るものが周りにない状態で、平山のささやかな生活に没入できるからこそ楽しめる作品なんじゃないかと。
映画館、久しぶりに行きましたが、精神が洗われるような良い体験でした。