人間は空港へ、猫は我が家へ、な週末の話

donco
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公開:2024/10/28

人間が空港に遊びに行った夜、しゅくしゅくと新しい子(猫※子猫ではない)の運命が我が家に向かってきていたよ、という週末の話をします。

空港に遊びに行ってきました。そして家に猫が増えました。


まずは猫の話から。わたしは家に猫が増えることをなんとも思っていません。猫が好きだから、という簡単な話ではなく、もちろんおおごとですし、命がひとつ増えるのは大変なことです。家計にも影響する。生活が一変したりもする。簡単なことではないのですが、新しい子を家に入れるかも、ということにおいて、わたしは悩むことはあまりありません。よし、わかった。頑張ろう。になります。

猫を幸せにできるという根拠のない自信と、猫を看取る覚悟。このふたつをひょいと手の届く場所に置いている人間なもので、(決して良いことではないです、たぶん)ある日ぽんと猫が増えます。あとは、悩むことがストレスだ、という性分でもあるので、楽なように生きているだけとも言えます。あっさり軽く、なんとかなるよ。そうやって生きていたいです。心は軽く、覚悟は重く、です。(多頭飼育崩壊、なんて言葉もありますし、範囲を見極めたうえでの行動なのでご安心ください。)

この話を続けているとうちになぜ猫がたくさんいるのか、という別の話になってくるので、いったん今回この話題はここでとめますね。週末に新しい子が増えたよ、という報告でした。急に家猫にされたでっかい男の子は、ハロウィンの猫みたいに絶賛大激怒中です。


では本題へ。土曜日の午後、伊丹空港に行ってきました。

どこかへ行くためではなく、目的地として遊びに行ってきました。私は飛行機に乗れないタイプの人間なのですが、空港には憧れがあります。ロマンがある、夢がある、と感じる場所のひとつです。空港ってそもそも気軽に行ける距離にあるのかな、行ってすることあるのかな、と調べてみたら、『空港で遊ぼう』的なサイトが出てきたりして、どうやら空港は『目的地として空港へ行く』が全然アリな場所なのだと知りました。

お友達と3人で待ち合わせて遊んできました。ご飯を食べる、滑走路を眺める、おしゃれなカフェでお茶をする、お土産屋さんをみる、が全部できて、お得感満載でした。

お友達の内訳が、わりとしょっちゅう会っている子と、数年ぶりの再会の子、という面白い感じだったのですが、会っても面白い感じでした。再会といってもただ間に空いた時間が長いだけで、なにも変わらないんだなあと。

しょっちゅう会っているほうのお友達が、再会したほうの子がわたしのことを、元気にしてるか気にしてたよ、よかったらみんなでごはんでもいこう、と切り出してくれて、わりとすぐに会う日が決まりました。(わかりにくい文章ですね。でもAちゃんBちゃんにするとわたしがわからなくなってしまうので、お許しください)

再会した子とは『疎遠になっていた』というよりは、『今は連絡を取り合っていない』期間が気づけば数年になっていた、というのが表現としては近いかな、と思います。やりとりしていなかっただけでラインも繋がったままなのに、間を取り持って声がけしてくれた子を通して日程と場所を決めたの、なんだか不思議で面白いです。でもせっかくとても久しぶりだし、『再会』をしたかった気持ちがありました。なので当日までのやりとりは控えめに。ブルースカイ上でだけ「土曜日仲良くなれるかな」とか「土曜日もし仲良くなれたら」とか「関係を再構築できれば…」なんて言い合って、面白がって遊んでいました。再構築は向こうが使った言葉なんですが、ちょっとセンスを感じました。もちろんわざとの言葉選びですが、大げさで好きです。

14時すぎに待ち合わせという中途半端な時間からでしたが、もちろん腹ペコだよねと確認し合い551に行きました。大阪といえばの551。最近はじめて肉まんを食べて、おいしくて驚きました。個人的に絶賛中華ブームなので、提案してもらえてうれしかったです。

お店がかなり端っこのほうにあったので、お土産屋さんや他のレストランを通り過ぎながら、あーだこーだと話をしました。ひさしぶり! 元気だった? 最近はなにしてるの? なんて会話ではなく、あれおいしいよね、この店めっちゃ行列だね、という普通の会話。数年ぶりの再会をしたばかりですが、緊張感なくゆるい空気が楽ちんで心地よかったです。

途中、大阪土産として有名で、わたしも大好きなお菓子があったので「あれおいしいんだよ」と紹介したら、「おいしいよね!」と再会したほうの子が賛同してくれて、でも3秒後に「あっでも食べたことはない」って言い出して、いまの会話なんだった? な謎のくだりがありました。ちなみに五感の『ええもんちぃ』です。数年前に知ってから好きです。季節ごとの期間限定ものも魅力的ですが、ノーマルが好きです。おいしい。そしてお友達は「おいしいことは知っていてひとにもお土産にあげたりするから好き」という意味の「おいしいよね」だったらしいです。省略がすごい。

食事のときに、わたし達が会う1週間前に旅行をしていたお友達が、お土産をくれました。差し入れ文化のある世界でオタク活動をしていたので、(今回遊んだふたりともそのオタク活動で出会いました)自分たちの住んでいる地域のお菓子を交換、みたいなことは当時よくしていましたが、『旅行のお土産』ってひと味違っていいですね。遠い地のお土産屋さんで買ってきてくれたもの。旅行中のわくわくがそこに宿っているようで、特別感があります。うれしい。楽しい。ありがとう。感謝です。

551もおいしかったです! せいろからで出てくる肉まん。お土産用のとおんなじですよね? 蒸し立てだからか皮が柔らかく感じました。そしてわたしはチルドを家で温めて食べるほうが好きかもしれない、とも思いました。チルドのほうがなぜか皮がぶあつくて甘かった気がします。色んなものと食べるより単品で食べるほうがおいしく感じるってだけなのかな。お友達にわけてもらった焼きそばのイカがおいしかったです。


食事とお話しを一旦終えて、いざ、と展望デッキに移動しました。空港あそびのメインです。

展望デッキ、よかったです。とても。ガラス越しに見られる程度かな、と想像していたのですが、ひらけた屋上のような場所で柵越しに滑走路を眺められたので、なかなかの迫力でした。よく考えたら『デッキ』なので、そういうものに決まってますかね。覗き込むと、飛行機以外にも貨物車や、整備士さんや、見たことのない機械、いろんな動きがありました。わたしは『働く人』を見るのが好き、というか、『ここで働く人たちの動きがすべて繋がって成り立っている』という仕組みを感じることに感動するタイプです。この人たちの扱う機械や車ひとつひとつに名前がついていて、それぞれの職種名があって、みんな当たり前のように今日も出勤していて、退勤して、同僚との会話があって、と考えるととてもときめきます。なぜだろう。空港という、客側からみれば非日常的な場所を、日常としている人たちがいる、という事実にたまらなくなります。観光地で垣間見える『そこに住む人たちの日常感』にも弱いので、非日常のなかに潜んでいる日常、というのが好きなのかもしれません。

おかしいな、気づけば自分語りになっていて、飛び立つ飛行機の話をしていなさすぎる。すみません。もちろん飛行機も楽しみました。

こちらはお友達の撮ってくれた写真を拝借しました。(アップロードされた写真もらうねと現地で伝えていましたよ!)この飛行機達がどんどん飛び立って行きました。ゆっくり旋回して、滑走路を走って、走って、走って、浮いて。それをずっと眺めていました。空も飛行機も働く人たちもみんな綺麗でした。やっぱり空港には夢があります。

暗くなるまで滑走路を堪能したあとに行った、滑走路が見えるおしゃれカフェもとてもよかったです。ここでビールとか飲みながらだらだらと過ごしたら、余裕で5時間くらい居られるよね、と話しました。展望デッキ近くにテラス席があって、すごくいい雰囲気だったんです。さすがにもう肌寒い季節になってしまったので、来年そんなことができたらいいな、と思います。ぼんやりだらだら過ごすのが大好きです。


一緒に空港にいったふたりが、この日の日記を書いてくれたのがうれしくて、わたしも真似して書いてみました。少し時間がたったあとで読み返すのが、楽しみです。

最後もお友達の撮った空港の写真(の拝借)で締めたいと思います。

これ、めちゃくちゃいい写真です。飛び立つ飛行機、待機中の飛行機、夕焼け、施設内にいる人たち。全部映っています。美しいです。これこそロマンです。

空港、楽しかった。また行きたい!

@donco
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