あまり詳しく書くとなにかでつながってわたしだと分かってしまいそう。それはいけない。今回はそういう内容です。なのでぼかしてふやかして書いていきます。
こんにちは。たくさんの猫たちと暮らしています。一緒に暮らしてもらっています。わたしのこれまでを振り返ると、落ちることばかり、だめになることばかりだったのですが(きっと誰しもそうなのかな)、ずっと猫と暮らしていました。猫の存在があるからこそ乗り越えてきた人生だなあと思います。
とくにお仕事。病んで辞める、みたいなこともありましたし、業種として、職場環境として、人間関係で、といろいろな理由でだめになっては逃げ出したり踏ん張ったりしてきました。主には逃げ出すほうですね。自分が『猫がいる』で救われるタイプの人間であることは、とても恵まれていると思います。たいてい、もうだめだ明日起き上がれないかもしれない、というタイミングで、新しい子がやってきていました。偶然。帰路でひとりぴいぴい泣く子猫を見つけたり、いつも見かけていた野良猫が弱ってふらふらよろよろと歩く姿を見かけたり。はたまたお買い物に行った先で、ありえない場所にいる野生猫と出会ったり。
新しい子が来るのって、力が出るんです。大変だ大変だ。新しい猫が来ちゃった! 病院に連れていかないと。ケージを組み立てて用意しないと。ごはん食べるかな。トイレできるかな。触らせてくれるようになるのかな。そんなふうに、いろんな問題と試練をくれるので、悩んで立ち止まっている場合じゃなくなります。考える時間はなし。気づけば朝で、悩みは停止状態のままとりあえず仕事に行って、行ったらなんとか時間はすぎて、帰ったらあれしないとこれしないと、の繰り返し。いつのまにか時が傷を薄めていたり、期間満了でお仕事が終わっていたり、辞める決断をして動けていたり。
猫たちをなんとかするのがわたしの人生。この職場は人生じゃない。このひとは、この業務は、この悩みはわたしの人生じゃない。この猫がわたしの人生だ! と、自分の主軸に存在していたはずの悩みを、外側に除外させてくれるのが猫でした。いつも。
ここから本題。弱い部分に触れている、薄暗い内容もあるので、嫌なかたは閉じてくださいね。
今わたしはどうにか順調にお仕事をして、日々を過ごしています。でも、どうにか、であることは揺るぎません。半年前は違っていました。どうにかもなにもできない。特定の人の前でパニックになるようになってしまって。パワハラとまではいきません。わたしが弱いだけでもあり、なんとも言えない問題のため……。簡単にいうと、そんな言い方しなくても、の積み重ね。最初は平気でした。「嫌な気持ちになるけど怖くはないし大丈夫」と思っていたし、打ち明けられるお友達にも、実際そうこぼしたり、していました。「怖くないし平気だけど、気が滅入るんだよね」と。で、半年、1年、なんとか耐えて、大丈夫だったのに、あるとき急にぷつんとだめになりました。チャットが光ると心臓がひやっとして、着信が入ると悲鳴をあげそうになる。思考が停止して、受け答えがうまくできない。やりとりをした後は、しばらくなにも手につかなくなる。と、どんどん悪化していき。あーまずいなーと思いつつも気を逸らして。ちゃんと見てくれているからこそだ。ありがたい。と思おうと頑張ってみたりもしました。でもだめで、咄嗟に「もうわたし居ないほうがましですよね」と口にしそうになったり、職場なのに泣いてしまったり(!)その人とのあれこれの後で1時間ほど動けず何もできなくなったときに、あ、これだめだ、と気付きました。やっと。遅い。
(その人よりさらに上の立場のリーダー的なかたの指示通り行った処理について「どういうつもりでこれをした」と逐一詰められる、みたいなことが多かった)
だめだと気付いて、すぐに動きました。次の仕事は見つけられる。猫たちを養っていくため、絶対にすぐに見つける! でもここにはいられない! という思いで。猫のため、があるから、だめにならない自信はありました(しかしそのまま耐えていたらだめになっていたかもしれない。だめになるわけにはいかない)。ちょっとおかしくなっていたので、逆に、というか、投げやり捨身になっていたので、理由を包み隠さず伝えて、辞めますと申し出ました。普通は、今までは、もっとこう、家庭の事情だとかスキルアップだとかうまく言えていたのですが、取り繕う力が残っておらず……ばか正直でした。
揉めたくないし改善も対策も求めていないので、大丈夫です。辞めます。と伝えました。(なにが大丈夫なのか)
あと、これは職場には黙っていますし、診断書も出していませんが(休職の意思がないため)適応障害というものになり、……やってくれたなこのやろう、な気持ちです。このやろう。そう思えるくらいに今は回復しています。適応障害は、特定の条件でのみ発症して、その原因がない場所では問題なし、普通モードでいられる、というものです。わたしの条件は場所や環境ではなく、たったひとりの人でした。最後のほうは姿が見えず声が聞こえてこなくても、存在を感じるだけで動悸が走る、まできていてつらかったです。今は、存在は感じるものの、向かってこられる、ということが大幅に減り、恐怖は軽減。主治医にも助けてもらい、なんとかなんとか、やっていけています。
つらつらだらだらと書いてきましたが、わたしは幸いにも対策をしてもらえて、職場は変わらず、今も同じ場所で働いています。掃いて捨てるほどいる人材。辞めます。わかりました。で終わりだと思っていたので驚きました。対策不要と伝えてもいたのに。いろいろ動いてもらって、職場には迷惑をかけたと思います。(言い訳ですが、同じ悩みで辞めた人や、相談していた人は歴代としてわたし以外にもいたようです。残っている人はいませんが)
わたしの場合は、上司に悩みを正直に打ち明けられたのは、弱っておかしくなっていたからです。元気なうちは、耐えられているうちは、なにも言えませんでした。(体調不良での早退なんかも言い出せずに倒れるタイプです)逆もあると思います。元気があるうちはある程度の相談ができて、弱ってしまうとなにも言えなくなってしまうような人。きっもどちらが良いも悪いもないです。たまたまわたしは自分のタイプのままで上手くいった、してもらえた、というだけで。
この件があってから、わたし自身の変化として、「助けてほしい」の相談が少しできるようになりました。耐えられない、と思った時(たまにあります、やはり)上司に打ち明ける勇気が出せるようになりました。これはとても進歩です。「抱え込まずに些細なことでも話してほしい」と言ってもらえたのも大きいですが、それでも言えない性格でした。伝えても仕方ない、耐えられない自分がわるい、という根っこにあった硬い部分が、ちょっとだけ、ほどけた気がしています。優しい人もいる。助けてくれる人もいる。
あ、今Juice=Juiceの歌声で「この世界は捨てたもんじゃない」が頭の中で聴こえてきました。せっかくなのでアドレスを貼ります。……と思ったら公式の動画がない! タイトルそのままなので検索して聴いてみてください。ぜひ。
話が脱線しましたが、もしあの時に仕事を辞めていても、猫のため、の機動力があるので次の仕事を意地でも見つけていたと思います。で、それなりにやっていたんじゃないかな。楽観的すぎでしょうか。辞めなかった今、それでもたまにウッとなることがありつつやっていけているのも、猫のため、があるからです。猫のおかげ。猫のせい。猫がいるから。とにかく猫がすべてで、そんな自分であるからこその、生き抜きかたなのでした。なにかにしがみつくための理由。倒れずに済むちからのもとが、わたしにとっては猫なんです。という、結局のところそれだけの話でした。
わたしは猫でだいたいのことは乗り越えられます。猫だいじ。猫大好き。猫かわいい。プラスの感情で頑張れるのって、うれしいです。すばらしいことです。感謝してもしきれません。ありがとう猫。これからもよろしくね。
みなさまにもそういうなにかがあることを、願っています。ほどほどに頑張りすぎず、なんとなくそれとなくでやりすごして、幸(さち)をひろって生きていけたらいい、という考えかたの人間の、ちっぽけな話でした。唐突に締めていきます。ご清聴ありがとうございました。
人生のご褒美として、アイスクリームとシュトレン。迷うところではありますが、今夜もアイスクリームを食べることにします。
それでは。終わり。