社会的な部分でのわたしにとって猫たちは「実はいる」存在だという話

donco
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公開:2024/10/18

わたしはこうしてSNS上で猫の話をしたり、猫や猫のいる部屋の様子を写真に撮って載せることがあります。写真はたまーに、ですが。

していますし、これからもします。そのための場所としてこの「しずかなインターネット」に登録してみたほどなので。

でも、外ではほとんど猫の話をしていません。社会的にふれあう人達、つまり職場で「猫を何匹飼っていて」とか、「猫の名前は」なんて話をしないし、猫の写真を見せることも一切ありません。(これはわたしの社会での在りかた、付き合いかたの話にもなってくるのですが)

ちなみにちょっと気になったので余談を挟みますが、わたしは「猫を飼っている」ではなく「ねこと暮らしている」「うちには猫がいる」と表現したい派なのですが、社会的なところでは相手に合わせたり、一般的な言いかたに寄せることにしています。なので「飼っている」を使うこともあります。今回は特にそちらの表現が出てくるかもしれません。餌と言われて、ごはんと言い換えることもないかな、あるかな、スルーするかな、なケースバイケースです。情熱は持ちすぎず、争いや引っかかりは避けて会話を進めていきたい人間です。

逸れた話題を戻します。わたしは職場で猫の話をしませんが、一部の近めの人達には「家に動物がいるんだろうな」とは思われていると思います。どうしても服に着いてきてしまう毛だったり、ミーティングや電話のうしろで聞こえる鳴き声から、わかってしまうこともあります。「動物飼ってますか?」「そうなんです、猫を」という会話くらいなら、何度かしたかな、と思います。だけど、それだけ。そこまでです。そこから「うちの子」「あなたの子」話に発展させることはありません。じゃあどうするのかというと、まあ、仕事に戻りますよね。職場なので。そりゃあそう。

繋げていく会話だったり、深めていく関係もあって、それは素敵で大切なことだと思ってはいます。が、社会的なわたしは『淡々とそこそこに』が好きなので、すりぬける、に近い形でもろもろやらせてもらっています。

だから、わたしのSNS(この日記やブルースカイ)を見て、「あ、これはあのひとだ」とハッとする人はいないと思っています。SNS上で猫の名前を出すことはほとんどないですが、ばんばん出してもたぶん大丈夫。

人間ひとりでたくさんの猫と暮らしているので、自分の置かれている(置いている?)環境は、ちょっとだけ特殊な気がしています。きっと特定しやすいです。それでも身バレの心配をしていないのは、社会に出していないから、というお話でした。大丈夫だよ安心してね、と誰にともなく伝えたくなったので、この話題を出してみました。たとえバレても、「へえ、そういうひとだったんだ」と思われるだけで、そう困らないかもしれない。そういう生きかたを気付けばしているわたしなのでした。

こんにちは。『猫を飼っている人』ではなくて、『黙っているけど実は猫と暮らしている人』です。唐突な自己紹介。あっさりとさらさらと生きていきたいものですね。


ここまで書いて思ったのですが、社会的な場所でなくても、わたしはあまり猫の話をしていないなと思いました。お友達にもそんなに、ちょっとだけ、たまーにちらっと、くらいかな。それも生活費の話題でだったり、週末こんなことがあったよ、という近況報告の一部だったりに猫が登場するくらいで、「あのねうちの子がね」と切り出すことはないな、ないよね? と思いました。どうでしょう。無意識にあるのかな。あるよ!って思ったら突っ込んでねお友達たち。

猫。一緒に暮らしているのだから当たり前なのですが、ほんとうにいるのが普通で自然。自慢の対象になる存在ではなくて、『ただ居る』存在。『もちろん居る』存在。そうであってね、といまも隣にいる子の寝顔を見つめながら、思いました。

「だれだれは今どうしてる?」と電話で母に聞かれたら、部屋を見渡してから「うーん、見えてないけど、どこかで寝てるよ」と答えるくらいの自然さ。

うちにはたくさんの猫が、今日もなんてことない顔をして、当たり前に、そこかしこに存在しています。

これはずいぶん前の写真です。この日も猫は当たり前の顔をして、撮っているのに歩いちゃったりしてくれてます。

@donco
こんにちは。ねことわたしの話をします。