今日はお世話になっているフィールドの飲み会に呼んでもらって行ってきた。議論も白熱して、いつも一対一で話している人が、他の人と話しているのを見ながら、場の有機的なプロセスを味わっていられた。久しぶりに本当に楽しかったことに、帰宅してから気がついて驚いた。ありがたいことです。
「今ここ」を解釈し続けて現在を歴史化する。そういう性質があった時、この一瞬が本当に一瞬しか味わえないことに切なさと悲しみを得るが、同時に、こういう瞬間が生の意義を確認可能にしている。私たちは流れていく時の中で、そういう瞬間を求めて進んでゆくほか、生きて死に向かう方法がない。
物理的回避が心理的回避ではないのと同じ構造で、物理的接触が心理的接触な訳でもない。自明なことなのに、人を前にするとそれが分からなくなる。字義が、視覚的印象が、神経が、脳が、精神が、過去が、私たちの今を私たちから遠ざけていくが、他者を近づけることで、今を自分に引きつけることも出来る、そう思った日だった。