むかし伯母の家には柴犬がいた。
代々飼う犬は必ず柴犬という伯母の家。
いつしかわたしの家もマンションから伯母の家の敷地に引っ越しをして、いつの間にか柴犬と同居をする日々が始まった。
でも、柴犬ってものすごく飼い主に忠実なんですよね。
わたしはこの子からよその家の子だと思われていたので(もちろんこの子の人間ピラミッドの頂点は父)、まいにちまいにち申し訳ないと関所を通るみたいに縮こまりながらその子にとってはよその子として生活してたんだけども、必然的に犬を飼うという行動についてくる散歩ミッション。それにあたる可能性に気づいてからはお菓子と餌付けでなんとかよその子ランクから同じ家に住んでる子までランクアップを果たして友好関係を結んでた。その子が亡くなるまで。
次の子は、なぜかミニチュアピンシャーとチワワのミックスの子。がりがりで目がぎょろぎょろと寂しがりやの子だった。ぷくぷくに満たしてあげたい!欲にまみれたわたしたち家族はおやつをあげたりこの子が若干引くくらい構ってあげてたらいつの間にかぷくぷくのあまえたな子になってた。
父のことをなぜか友だちくらいに思ってて、あまいあまい歳の離れた弟みたいで。
かわいいねかわいいねと言いながら育ったらこんなにあまえたな子になるんだと思って。でもこの子も亡くなってしまった。
その記憶があるからかおやつやお菓子は人とつながる糸のようなだと思ってる節がある。
友好関係を結びたい時、なにかの会話の緩衝材にしたい時、どんより空気が重い時、旅行に行った時両手にいっぱいお菓子を抱えてしまう。(好きなお土産は福井の羽二重くるみ)
反省点はやりすぎると相手が身構えることがあるからいい塩梅で。
今日はどんよりわたしの空気が勝手に重くなりすぎて、ひとり勝手にお菓子を配り歩いた。
わたしがお菓子を配る時、それはみんなとつながりたい時。ほどほど多幸感があって配りやすいお菓子を探してる。
ジャケットもかわいくて量もほどほどでおいしかった。自己満足です。