【短歌の話】猫と夢の三つの話

Dr.ギャップ
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公開:2025/9/27

以下の文章には秋山瑞人の小説『猫の地球儀』全2巻のネタバレが含まれます。とても良い小説ですので、よければこの文章の前に読んでください。


一〇〇年じゃとても足りない夢を見てその後のあたしの猫をよろしく

山中千瀬『死なない猫を継ぐ』(典々堂, 2024年)

この短歌を最初に読んだとき、〈その後のあたしの猫をよろしく〉は、同じ夢を見て追う次の世代への声かけだと思った、と思う。はっきり確信していたわけではないけれど、そのとき思ったことを今なりに思い出して言葉にするならそういうことだろう、と。

この短歌は「グッドラック」という連作の中の一首で、そして「グッドラック」は「短歌の場でのハラスメントを考える」という特集に寄せられた連作だった。自分は実際の誌面でこの作品を読む前に川野芽生さんによる一連のポストを読んでいて(だから思うところのある雑誌を買ってまでこの連作を読みたいと思ったのです)、これに影響されて読んでいる部分もあると思う。

※リプライツリーから一部を抜粋しています。全体は下のリンクからご覧ください。

https://x.com/megumikawano_/status/1644698633319903233

このとき自分が〈夢〉の中身として思い描いていたのは、ハラスメントのない、少なくともハラスメントはよくないことだという意思が広く共有され表明され実行されるような世界が実現することでした。今ここはそういった世界ではない。そしてその世界を実現するには今後百年ではとても足りない。だから〈その後〉というのは夢なかばで〈あたし〉が倒れた後だと想像しました。〈一〇〇年じゃとても足りない〉は長い時間の謂いであると同時に「自分が生きている間には実現しないだろう」という含みがあるように思います。

この〈夢〉が百年経っても叶わない(と思わせてしまっている)というのは悲しくて悔しくて、それでも〈よろしく〉と託せる誰かがいるのは心強い気がして、あるいは〈よろしく〉と自分が託されたような気もして、託されたなら受け取らなくちゃという気持ちがします(ただ、この歌の次、連作の最後には〈よろしくじゃないよな それでも手を伸ばし友だちとゆく花道なんだ〉と続くから、やっぱり〈その後〉の話をするのはまだ早いと、今ここでもう少し一緒に足掻きたいよ、そうできるなら嬉しいよと思うのですが)。

また〈猫〉は〈夢〉とイコールではないけれど、その夢を指向する意思が〈猫〉であるような、〈夢〉の実現のように次に託される存在としてイメージしていました。

作者である山中さんが上の文章の中で、秋山瑞人『猫の地球儀』とこの短歌を並べているのを見たとき、あっと思いました。あっと思ったのは、単純に自分も『猫の地球儀』が好きだからで、好きな短歌と好きな小説が並んでいるのが嬉しくて、そしてこの短歌とこの小説が並ぶのがすごく「わかる」だったからです。

また、これは紀伊国屋新宿店で歌集発売時にしてもらった選書フェアに並べてもらった本を紹介する記事でもあります。フェアは「自分をつくった10冊」みたいなお題で、歌集のなかにある歌を挙げ「この歌が好きなひとにはこの本がおすすめかも」と紹介するかたちにしました。

山中千瀬「死なない猫をつくる③」

とのことなので、この短歌の発想元になったというわけでは必ずしもないのでしょうが、めちゃイメ短歌だ……! と嬉しくなりました。

『猫の地球儀』は最終的に夢が叶ったお話だと思っています。もちろんそこまでにはいろいろあるし、叶わなかった夢もあるけど、でも『猫の地球儀』は〈一〇〇年じゃとても足りない夢〉の一〇〇年よりもっともっと長い時間の果てに、その夢が叶うところの物語と言えるのではないかと自分は思うのです。

そういうことを思いながらこの歌を見返したとき、〈その後〉を夢が叶った後として読んでもおかしくはないのかも、と思いました。百年かかってもまだ足りないような、みんなで繋いで繋いで見続けた夢がようやく叶ったその後、夢が叶った先の世界で〈あたしの猫〉が愉快に暮らせますようにという〈よろしく〉という読み方もできるというか、そういう風景の描き方もできるんじゃないの、と。

『猫の地球儀』は猫たちの物語で、猫たちは〈よろしく〉と託されなくたってみんなそれぞれの足で立って歩いて暮らしてゆきます。〈夢〉も持つし、それぞれに叶えるため奮闘します。そのうえでそれでも〈よろしく〉と言いたい気持ちが〈あたし〉にあるのだとすると、庇護というより祝福のイメージが近いように思いました。〈夢を見て〉も夢が叶った後のエンドロールを眺めているイメージが重なるような。

で、自分はこの『猫の地球儀』をアプリゲーム《ディズニー ツイステッドワンダーランド》のイデア・シュラウドに読んでほしいということをずーっと思っており、これも縁だろうと短歌をイデアと並べたくなりました。

そうすると、〈夢〉はまだ叶っていないかもしれないけど、〈よろしく〉と託されているのは〈夢〉やその夢を背負う存在としての〈猫〉ではなく、夢とは独立した存在としての〈猫〉のような気がしました。

〈あたし〉=短歌の主体としてイデアを置いたとき、〈夢〉として想像したのはシュラウド家の呪いからみんなが解放されること、そしてその呪いを他者に引き継がないことでした。それが百年で叶うかどうかはわからないけど、もし叶わないとして〈その後〉を誰かに背負わせることをイデアはしないような気がします。自分が片付けられるところを片付けて、どうにもならないところがあればそれはその先の当事者の意思に任せるような、巻き込んだり押しつけたりということを慎重に避ける印象があります(それはこの〈夢〉をイデアが個人的なものとしていそうだからでもあります。全生命共通の夢みたいなものだったらまた違うかも)。

だから〈よろしく〉と託されるのは積み残しの夢ではなくて、夢が叶えられていないままかもしれない世界を生きていく、イデアにとって大切な誰かのことじゃないかなという気がしました。シュラウド家の呪いが解決していない状態でイデアが次世代を設けるとは自分は想像しづらいので、その場合〈猫〉はイデアより長く存在しつづけそうなオルトくんかな。あるいはイデアは猫好きなので、彼にとっての大切なもの、好ましいもの象徴としても読めると思います。精一杯やって、叶わなくて、でも世界は続いて〈その後〉はあるから、自分にとって大切な〈猫〉がこれからも健やかに過ごせるように気にかけてくれない?という〈よろしく〉。ごく個人的な私信という印象で、巻き込むことを躊躇うなかに託せる相手がいることの安心感を思います。個人的にはアズールを思い浮かべました。

以上、とりとめのない文章になりましたが、もともと好きだった短歌が、好きな小説と好きなキャラクターとつながって嬉しかったなという作文でした。

この短歌はぜひ連作で読んでほしいなと思うので、この作文で気になるなと思った方はぜひ歌集『死なない猫を継ぐ』を手に取って読んでみてください。

@dr_gaap
短歌と読書と二次創作と旅行と美味しいものが好き。いま一番ハマっているのはアプリゲーム《ディズニー ツイステッドワンダーランド》です。短歌で楽しいことをするのも好き。クワロマンティックでアロマンティックでアセクシュアルです。 感想などいただけたら嬉しいです。→wavebox.me/wave/94ufrrxytf5hliop