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記憶汚染展の記憶

Dr.ギャップ
·
公開:2026/9/11

この夏、東京は渋谷BEAMで開催された記憶汚染展に行ってきました。訪問から一ヶ月近く経ち、会期も終了してしまったのですが、当時のメモと記憶を頼りに、このイベントの思い出を記録しておこうと思います。記憶、そしてその背後にあるはずの現実をめぐる展示について、こうした記憶の記録を自分の手で世界に一つ付け加えるというのは、とても愉快な遊びだなと思いながらこの文章を書いています。

※以下の文章は展示の核心に触れることのないよう調整したものです。全部喋る版の感想はふせったーに置いています。ただ、ふせったーには写真を載せられないので、核心ウェルカムな方もよかったら読み比べていってください。

■全部喋る版感想


どんなイベントだったのか

「記憶汚染展」とは、記憶と現実のあやふやさをめぐる体験型の展覧会です。

マンデラエフェクト、AIのハルシネーション、そして証言と記録のあいだに残された不確かな痕跡まで。

「記憶はどこまで信じられるのか」という問いを、さまざまな展示を通して実際に体験していただきます。

【出典】『記憶汚染展』展示イメージ6点・来場者が"記憶を選ぶ"体験ギミックを公開

公式サイトが説明する通り「体験型の展覧会」というのがそのスタイルでした。

展示物の例を挙げると、二枚のパンダの写真が並んでいて、片方は尻尾が黒、もう片方は白になっているとか、壁一面にベートーベンの肖像画が貼られているけれど、それぞれ手に持っているものや表情や背景が微妙に異なっているとか。「記憶と現実のあやふやさ」や「記憶はどこまで信じられるのか」が展示物の形で提示されていた、という風に把握しています。

また展示物のなかには「ご自身の記憶に合うほうに、黒丸シールを貼ってください。」という案内のついたものがあり、入場受付でもらったシールを貼るスペースが設けられていました。これが「体験型」の一形式です。

★尻尾の色だけが黒白で異なるパンダの写真が二枚並んでいる。来場者によって貼られたシールは白尻尾のほうがいくらか多いが、圧倒的というほどの差はない。自分が当日どちらにシールを貼ったかというと記憶に自信がない。

展示は五章構成で、第一章から順に「マンデラエフェクト」、「ハルシネーション」、「記憶残骸」、「記憶保全」、「記憶汚染」というタイトルになっていました。第一章「マンデラエフェクト」は“集団的な記憶違い”のようなテーマで、黒丸シールもクイズのような感覚で貼っていたのですが、第二章「ハルシネーション」ではそもそもどちらが正しいではなく、現実に反するものごとをAIがあたかも現実かのように出力する例が提示され、第三章「記憶残骸」では記録には残っていないのに記憶のなかには存在しているものたちが示されと、少しずつ形を変えながら“記憶”のあやふやさ、あるいはそのベースとなる“現実”や、記憶と対偶のような存在である“記録”とずれを見せながら並存する様子を見ていきました。

★どうして記憶をめぐる展示にハルシネーションの章が……?という疑問については、エリア冒頭の壁面で解説があります。私たちが現実だと思っているそれにもハルシネーションは紛れているのかもしれない。

★来場者がスマホから打ち込んだ文字列をもとにAI生成された文章が壁面に映っては消えていく展示。これも体験型の展示物の一つ。

★生成された文章は画像で持ち帰ることができる。これは自分が生成したなかでもお気に入りの文章。生成された文章は夏や水に関するものが多かったような気がするけれど、たまたま自分が見たものがそうだっただけかもしれない。

体験目安は一時間半ほどとのことだったのですが、結局三時間ほど滞在していました。

自分ごととしての記憶

記憶汚染展の面白かったところ、自分にとって満足感の高かったポイントとして、没入感の高さ、言い換えると自分ごととして引き受ける感覚が強かったということが挙げられます。黒丸シールを貼るというギミックにとどまらず──というよりもこれを皮切りに、自分自身の記憶を問い直す・自分の記憶の不確かさを確かめるもの/こととして一連の展示を鑑賞していました。記憶汚染展の問う記憶は、普遍的な・誰かの記憶ではなく、いまこの展示を見ているあなた/私自身の記憶なのだという感覚。単にシールを貼ったり、生成AIに文章の書き出しを送ったりという行為をもって“体験”なのでなく、展示を受容する態度/感覚のうえでまさしく「体験型」だったなと感じます。

展示の内容を知るだけであれば、この文章を含め来場者の感想ブログやSNSへの投稿がネット上にごろごろありますし、公式パンフレットを手に入れて読むこともできると思います。けれど、文章/画像/情報といった“自分の外側”としてそれに触れるのではなく、もう一歩踏み込むような、意識せぬうちに自分の内側に入り込まれているあの感覚は、今回の展示の形式ならではだからこそだろうなと思います。

特にたとえば負けず嫌いな人、見栄っ張りな人は、自分がそうだったように展示によりのめり込みやすかったんじゃないかなとも思います。覚えているはずだ、覚えていようという意気込みがそのまま没入感になりそうです。

記憶は常に揺らぎつづける

鑑賞中に面白く感じたことの一つに「他の来場者の存在/会話が展示体験を強化する」という感覚がありました。わかりやすいところでは黒丸シールの存在です。これがあることで来場者それぞれの記憶(に基づく判断)が可視化され、それによって自分の記憶が揺さぶられるのを感じていたのですが(パンダの尻尾は黒だと思ってたけど白の方が多めだなあ。ということは……?)、このシールに限らず「パンダの尻尾は黒でしょ」「白だと思うけどなあ」というような会話にも同様の効果を感じて面白かったです。

自分は記憶汚染展に限らず展示などの催しは一人で訪ねることが多いです。そうしたとき、周囲の会話はノイズに感じることが多いのですが、記憶汚染展ではむしろ他人の会話が展示物の味をさらに増やしてくれるように感じて、こんなことがあるんだなと面白く驚きました。黒丸シールはそれがどこにあるか、どのくらいあるかという形で来場者それぞれの記憶(判断)を他の来場者に向けて可視化しますが、シールを貼るというギミックがあることで会話が生まれてもいるのではと思い、二重にすごいなあと思いました。

記憶は固定された定型の存在でなく、問われているそのときですらずっと揺れ続けている。面白いなあと思います。

脱線:記憶にない思い出話

記憶汚染展を見た後、ふっと思い出した記憶です。

高校生の頃だったと思います。親と話していたら「Aちゃんのお母さんとたまたま会ったんだけど、中学の頃Aちゃんと遊びに行ったことがあるんだって?」と言われました。Aちゃんは中学校の頃同じ部活に所属していた同級生で、会話はするけれど特別親しいというわけではありませんでした。

「Aちゃんのお母さんが褒めてたよ。『昔Aと一緒にイオンに遊びに行ったとき、駐輪場で倒れてた自転車を直したって聞いて、さすがだなって思ったのよ』って」

Aちゃんと一緒に遊びにいった記憶はまったくありませんでした。重ねて言えば他の友達とイオンに行ったこともなく、何一つ自分の記憶を掠めることのないエピソードを事実のように話されて、面食らうような慌てるような気持ちになったことをぼんやり憶えています。中学生当時、自分は優等生のような立ち位置にいたので、きっとAちゃんが子どもだけで遊びに行くというときに、親の信頼を得るために自分の名前を出したのだろうと解釈をしました。

ただ、あのとき、本当にまったく記憶にないことをさも当然のように言われて、一瞬よりももう少し長い間、自分の記憶を疑ったのを覚えています。自分は実はAちゃんと他の友達と一緒にイオンに遊びに行ったのではないか。自分がそれを忘れてしまっているだけではないか。自転車も気が向けば直したかもしれません。数年前の出来事として話されたのでなおさら自信はなく、またAちゃんとは別々の高校に進学していたので直接真相を確かめることもできませんでした。そして今この話を書きながら、本当にそんな話を親から聞いたんだっけということにも自信がなくなりつつあります。イオンじゃなかったかもしれない、自転車を直したんじゃなかったのかもしれない。でもAちゃんの話だったことは覚えている、つもりです。

記憶と認知と知識

展示のなかに「入口で記憶した記号を思い出してください」というものがありました。展示入口で見た記号を思い出して付箋に書き、壁に貼るというものなのですが、これがもうものの見事に書けませんでした。また展示に先行してWEB公開されたゲーム「記憶能力に関するテスト」では、風景などの写真を覚える第一段階と、文章中に登場する単語を記憶する第三段階は何度受験してもほぼ間違えないのに対し、人物写真を記憶する第二段階はほとんど正解できないありさまでした。

この結果のばらつきは記憶力の都合というより、記憶の手前にある認知の得意/不得意の影響ではないかと捉えています(※専門家ではない人間が自分の感覚についてそれだけで判断しています)。適切に認知できていないものは適切に記憶できない。自分の場合、人の顔が認識できないとは言いませんが、顔だけを短時間ぱっと見ても、見分けがつくレベルで人物を記憶することはできないんだなと。図形も、かつて見たことがあったり、あるいは言葉に直して覚えられる種類のものならもう少しましだと思うのですが、図形そのままをビジュアル的に認知・記憶するのはかなり苦手というか無理なんだろうなぁと思いました。

★壁を埋めるピンク色の紙片はすべて付箋で、来場者それぞれの記憶をもとに再現された記号が書かれている。その量と多様さに圧倒される。

認知できていないことは記憶できない。怪談で「絶対に顔を見たのに不思議と思い出すことができない」というのが一つの定番としてありますが、自分の場合あまり不思議でもないかもなあと思います。さすがにクラスメイトのように長い付き合いのある相手は思い出せると思いたいですが、付き合いが薄かったとか、エピソードやプロフィールと結びついていないとなると、ちょっと怪しいかもという気になります。

また知識は記憶の一部だとも思うのですが、自分のなかでは手触りが明確に違うというか、言葉をベースに体系的に整理されたものという印象が強く、ただの記憶よりももう少し定着しやすいものなのではないかということを考えました。たとえばパンダの尻尾の色について、QuizKnockの動画をよく見ていた頃にクイズとして何度か出題されているのを見て(定番のクイズなんだな)と思った記憶があります。どっちの色が正解だったかは忘れてしまいましたが。クイズのベタ問としてパンダの尻尾の色を知識の形で覚えていた人は、あの展示をどう見たのだろうか、自分とは見え方が違ったのだろうかということを思います。

記録を残すということ

記憶汚染展の会場を出てしばらく、自分のなかで感想が言葉になかなかまとまっていかないのを感じました。興奮で思考が散らかっていたせいかもしれないし、たくさんのことを感じていて言葉にまとまらなかったのかもしれなかったし、展示内容を十分に理解できていなくて解釈が追いついていなかった可能性もあり、あるいはその日は朝から動き回っていたので疲労で頭が回っていなかったのかもしれません。

ただ、なかなか言葉にまとまっていかないのを感じながら、しばらくはこれでいいのかもしれないとも思いました。言葉にすると記憶として定着してしまう。言葉にすると固定されてしまうから。本当はもっと曖昧な部分があったはずなのに、一意には定まらない揺らぎもあったはずなのに、言葉にするとその形におさまってしまう。面白かった。予想外だった。不安に感じた。素敵だった。もう一回来たい。第三章の展示が特に印象的だった。そうだったことになってしまう。

こうしてブログに文章で感想を残しているのは、自分にとって言葉が一番扱いやすいツールだからです。記録を残すのも、あとで読み返すのも、文章で扱うのが一番身近で手軽です。でも、言葉で記録できるのは言葉で表すことのできるものだけです。言葉に置き換えるなかで取りこぼすもの、歪んでいくものはあります。確実に。言葉で記録してきたからわかります。だから会場を出てしばらくの間の失語状態を自分は歓迎したのだし、それでも何かを記録しておきたくてこの文章を書いています。あるいは今回に限っては、そうした歪みや取りこぼしの種を作ろうとして。それを楽しもうとして。

展示を見た当日、自分は本当に“そう”思ったのか。いつか自分がこの文章を読むとき、当時の感情や思考の動きを正確に理解し再現できるのか。わからないと思います。わからないから楽しみだとも思います。展示を見た記憶そのものが薄れて、思い出の手掛かりとしてこの文章に頼る日が来るのが、怖いけれど楽しみです。この文章だけでなく、展示のX公式アカウントや会場で買ったパンフレット、他の来場者の感想ブログなど、展示内容について知る/思い出すための手掛かりはきっと豊富に残ります。けれどそのうちのどれが/どれだけが信頼できるのか。そうした不安や警戒心を抱えたまま、自分の記憶がいっそう信じられなくなる未来がやってきて、警戒したままテキストを頼らざるを得ない日が来ることを、恐ろしく思いながらも楽しみに感じています。

と、こう書いた後に展示の写真を見返していたら、まさに第四章「記憶保全」と第五章「記憶汚染」の入り口パネルに似たことが書いてあって笑ってしまいました。とても素直に鑑賞できたという意味では、喜ぶべきところかもしれませんが。

まとめでもないけれど

あらためて一言で感想をと思えば、「楽しかった!」と「いろんな人に体験してほしい!」に尽きます。

時間をかけて再演されることで味わいが増す展示だったとも思うので、いろんな人が/繰り返しアクセスできるようにいろんな土地で開催されてほしい……! 主催の方、各地に会場となりうる施設を持っている/知っている方、どうぞよろしくお願いします。

本当に楽しい展示だったので、再上演の機会があれば足を運んでみてください。

行ってきたよという方は、よかったらお互いの記憶を見せ合いましょう。ここは記憶違いだろうという箇所があれば、Waveboxなどで教えてください。

@dr_gaap
短歌と読書と二次創作と旅行と美味しいものが好き。今はまっているのはツイステとオモコロと匿名ラジオです。短歌で楽しいことをするのが大好き。クワロマンティックでアロマンティックでアセクシュアルです。 感想などいただけたら嬉しいです。→wavebox.me/wave/94ufrrxytf5hliop