「自認○○」という言い回しがトランスジェンダー差別に由来する形でミーム(面白ネタ)化している、という指摘と批判を見かけました。正確には「また見かけた」で、一ヶ月ほど前にも同じ指摘と注意喚起を見かけたことを覚えています。そのときは自分から注意喚起をとまでは思わっていなかったのですが、今また同じ指摘を見かけるということはミームの流行りが続いているんだろう、でも危うさを知っていれば使わなかった/使わない人もいるだろうと思って、面白ワードみたいに使われている「自認○○」は人を蔑ろにしたり攻撃したりする意味にルーツがあるよ、その気がなくても誰かを軽んじることにつながる使い方だよ、だから使わないほうがいいと思うよ(自分は使ってほしくないと考えるよ)という文章をまとめにきたのでした。
「自認」という言葉は、自分にとっては「性自認」の形で見聞きすることがここ数年は多く、「自認」という言葉も「性自認」に重なる意味合いや文脈で触れることが多いです。では「性自認」とはどういう意味なのかといえば「自分の性別を自分でどのように認識しているか」という説明をされていることが多く、自分もその意味でこの言葉を捉えています(なお〈心の性〉は少し違うなぁという感覚があります)。
一方で「自認」という言葉そのものはジェンダー用語というわけではなく、日常的な語彙として辞書にも載っています。たとえばデジタル大辞泉では「自分で認めること。」、精選版日本国語大辞典では「自分で認めること。ある状態が事実であると自分で認めること。」とされています。
自分はここで「自認」という言葉を性自認の意味でだけ使おうと言いたいわけではありません。というより、「自認:自分で認めること」という辞書上の説明と、「性自認:自分の性別を自分でどのように認識しているか」という意味は重なっているので、「自認:自分で認めること」の意味で使っていればそこが衝突することはないはずです。
自分が「自認○○」というミームを嫌だな、危ういなと感じているのは、今ミームになっている「自認」には、「自分で認めること」ではない別のニュアンスが乗せられているからです。
「自認○○」という現象が冷笑の対象になるのには理由がある。レゼをはじめ、投影先となるのはたいてい容姿端麗で特別感のあるキャラクター。そこに向けられているのは、「実際の自分とキャラクターには大きなギャップがあるのに、本当にそう思うの?」という、ある種の皮肉めいた視線である。
ここでミームとしての「自認」に対して指摘されているのは、「自認:自分で認めること」とはむしろ反対の「本当はそうではないのに」という含みがあること、またそうした「本当」と「自認」の間にあるギャップへの皮肉・冷笑的な態度があるということです。
そしてこの「本当はそうではないのに」という含みによって、トランスジェンダー差別に「自認」という言葉が使われた/ているという背景があります。
「自認」という言葉には「自分で認める」や「自分でそう認識する」という意味があります。そこには「実際には○○ではない」という含みはなく、その含みを「自認」という言葉に乗せたのは悪意や攻撃の意図でした。そうした背景がある以上、あくまで自虐としてのつもりであれ「自認」という言葉に「実際には○○ではない」という含みや、「本当」と「自認」の間にあるギャップへの皮肉・冷笑的なニュアンスを乗せることは、そのルーツにある悪意や攻撃を強化することにつながると感じます。「自分でそう認識する」の用法で使っている人の「自認」を「本人がそう言っているだけ(実際にはそうでないのに)」と誰かが軽く扱うことを後押ししてしまうことになりかねないし、それはよくないだろう、と思います。言葉は変化するものというのも確かだけれど、ただでさえトランスジェンダーへの攻撃がまだ激しくあるなかでそれを助長するような言葉の使い方を面白がってしなくても……という。
性別には性自認だけでなく、身体的な特徴だけでなく、様々な側面があります。そしてそれらは常に一致するとは限らず、そのうちのどれが「本当」で「本当ではない」というものではありません。状況によって性自認がフォーカスされたり身体的な特徴がフォーカスされるという差があるとしても、そうした場面に限ってすら他の性が「本当ではない」ことになるわけではないです。
(性の位相分けについて、ネットで読めるものとしては以下の記事が丁寧かつ自分の把握や感覚とも近いです。ぜひ読んでみてください)
高井ゆと里「『心の性』と『身体の性』をやめるべき理由」『ゆと里スペース』
自分が「自認」という言葉にジェンダーの文脈で触れるとき、そこには「その人の認識を尊重する」という前提のようなものがあると感じます。繰り返しになりますが、性自認は「自分の性別を自分でどのように認識しているか」という説明をされていることが多く、自分もその意味でこの言葉を捉えています。「自認」というものは、性自認に限らず客観的に証明できるものではなく、あくまで主観的なものです。その「性自認」が他の性の位相と──特に「身体の性的特徴」という客観的なそれと区別されること、そうして一つの位相とされることが、「客観的に証明できなくても、しなくても良いものとして、本人の認識を尊重しよう」という身振りに見えるのです。
「自認」という言葉は「自分で認める」や「自分でそう認識する」という意味でもともと使われています。そこに「本当は○○ではない」や「本人がそう思っているだけ」というニュアンスを乗せることは、それを聞く人の「自認」の捉え方を変え、他の誰かが使う「自認」を軽くすることにつながるでしょう。仮に自虐のつもりで使っていても、巡り巡って誰かの自認を「本当はは○○ではない」や「本人がそう言っているだけ」と軽んじさせることにつながるし、実際にそうした攻撃のために使われていた背景が、またそのなかでミーム化した部分があります。
だから、なんか流行ってる言い回しがあるな、面白そうだし使っておくか、というノリで「自認○○」を使うことはやめてほしいし、やめたほうがいいと思っています。